山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

2019/03/03(日)20:48

【長篠の戦い】 震源の死 葬儀

【長篠の戦い】 5月21日 これより先,信長・家康は長篠西方設楽原に南北2キロにわたる堅固な鉄砲陣地を築く, この日勝頼の騎馬隊が反復攻撃して鉄砲のため大敗〔信・武家事紀〕 6月13日 織田信長,秋山信友の篭る美濃岩村城を囲み,戦況を上杉謙信に報じ,信・甲への出兵を促す〔上杉家文書〕 7月2日 勝頼,長篠で戦死した信濃先方衆山家昌矩の名跡を,弟左馬允に継がせる〔武家事犯〕 8月10日 勝頼、河口御師駒屋に先代の時の通り分国中毎月馬3疋分の諸関通過を免許〔河口御師駒屋文書〕 8月24日 武田氏の遠江前進拠点諏訪原城が落ち、続いて二俣・光明寺山の諸城も落ちる〔武徳編年集成〕 9月18日 穴山信君,遠江に至って長篠の敗戦処理に病を得て帰る この日勝頼,牛黄円を贈って保養を勧める〔駿河本成寺文書〕 11月21日 織田信長,美濃岩村城を陥れ,城将秋山信友らを捕えて疎殺〔信〕 12月1日 穴山信君の息女病死,法号延寿院日厳〔身延過去帳〕 12月16日 勝頼,尾張・美濃・三河・遠江に出陣を計画,信州先方衆小泉昌宗らに条目を頒布,兵備を調えさせる〔綾錦雑誌〕12月23日 勝頼,山梨郡落合郷・八代郡寺尾郷・巨摩郡竜王河原宿らに竹・木・藁・繩の徴発には獅子の印判を捺した令書によることを命令〔竜王町保坂達家ほか文書〕   天正4年(1576) 2月16日 勝頼,御用桧物師工町(甲府市)小倉新兵衛尉ら56人の忠勤を賞し,宿次の普請役一切を免許〔小倉武家文書・国志〕 2月19日 武田信豊,望月遠江入道の所領信州園田の内,ならびに手作分30貫文の地を,牌寺万力筋西保郷(牧丘町)鋼雲 する〔洞雲寺文書〕 2月24日 勝頼、御用秤師吉川彦太郎外3名の忠勤を賞し,町棚1軒商売諸役を免許〔守隋院彦太郎家文書〕 3月4日 勝頼,一蓮寺々領300貫文の内246貫役地から上務三分の割で7貫380文を納めさせる〔一蓮寺文書〕 3月6日 勝頼,小原郷(山梨市)の早川肥後守の所領70貫文より上納2貫100文を徴収させる〔早川善治家文書〕 4月3日 勝頼,その高祖武田信武開基の法泉寺に本領和田18貫文,信州刈屋原7貫800文のほかを安堵,禁制5ヵ条を出す〔法泉寺文書〕 この日,勝頼が甲斐国分寺本領塩田郷18貫文,浅利太子堂ほかを安堵,ならびに本寺・門前2軒の棟別銭・課役一切を免許〔国分寺文書〕 4月12日 勝頼、父信玄の喪を発する。  【信玄の葬礼】 法号 恵林寺殿故山玄公大居士  4月16日 勝頼,父信玄の葬礼を恵林寺で決川紹喜大導師のもとに執行 掛真 高遠乾福寺東谷宗栗 奠湯 長禅寺高山玄寿 奠茶 伊那開善寺速伝宗販 起骨 駿府臨済寺鉄山宗鈍 安骨 長興寺大円 下火 恵林寺快川 起龕 円光院説三宗燦 鎖龕 東光寺藍田慧青 喪主勝頼 御影  仁科盛信 位牌  葛山信貞,御剱 前龕 逍遥軒, 同  穴山信君 後龕 武田信豊 同  信堯 剃髪する者 春日虎綱をはじめ数百人におよぶ〔武家事紀・天正文公仏事法語〕  

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