2021/04/16(金)19:25
『顔氏家訓』 顔之推 がんしすい 私は人からそしりを受けたとき、いつも、この点について自己反省した
『顔氏家訓』 顔之推 がんしすい (531-602?) *南北朝時代の学者。儒教と仏教との調和を試みた。 『顔氏家訓』は、人間いかに生くべきかを家族中心の立場から述べた。 人間の足がふむ広さは、わずか数寸にすぎないのに、一尺ほどもある路で、きまって崖からつまずいて落ちるし、一抱えもある丸木橋で、かならず川に落ちて溺れるというのは、なぜか。そのかたわらに余地がないからである。 君子が世に立って行く場合も、まったく同じこと。真実のこもったことばも、人に信用してもらえず、天地に恥じぬ行いも、人から疑われることもある。みな、自己の言行・名声に余地がないためである。 私は人からそしりを受けたとき、いつも、この点について自己反省した。(『顔氏家訓』名実篇)