2021/04/12(月)05:30
名まえを奪われた受難の人々
名まえを奪われた受難の人々
政治的権利はいうまでもなく、言語や名まえまですべての自由を奪われた朝鮮人、台湾人の苦難をここに記す
朝鮮人の受難 朴慶植氏著 一部加筆
日本は植民地朝鮮を侵略戦争の基地として、軍需資源を奪いつくし、朝鮮人民からその民族性と、歴
史と文化、それに言語や、固有の名前までも奪い、天皇に忠実な日本人にする。いわゆる「皇民化」の
ためのいろいろな政策を強行していった。しかし朝鮮人民はそのような支配に反対し、民族独立の旗を
掲げて闘った。
「皇民化」政策
・私共ハ大日本帝国ノ臣民デアリマス
・私共ハ心ヲ合セテ天皇陛下ニ忠義ヲ尽シマス
・私共ハ忍苦鍛錬シテ立派ナ強イ国民トナリマス
これは朝鮮の小学校児童たちが毎日学校で、あるいはいろいろな行事のあるたびに唱えさせられたい
わゆる「皇国臣民の誓詞」であり、またこれと同じ趣旨の誓詞が中等学校以上の学生に、また一般朝鮮
人に対し各職場で唱えさせられた。
日本の支配者は朝鮮人民を「皇民化」するために「内鮮一体」のスローガンを高く掲げた。
一九三一年(昭和六)朝鮮総督に就任した宇垣一成は、苛酷な植民地収奪と経済恐慌で疲弊した朝鮮農村を「復興再建」する名目のもとにいわゆる農村振興運動を展開し、朝鮮人民を経済的に、精神的に総動員して「皇民化」運動を推進した。
一九三七年中国への侵略戦争が本格化するにともない、当時の朝鮮総督南次郎は国体明徴、鮮満一如、教学振作、農工併進、庶政刷新などの五大政綱のもとに「皇民化」政策をより強力に進めた。
一九三八年七月には「内鮮一体」を具現するとして国民精神総動員朝鮮連盟を結成し、皇国臣民の誓詞斉唱、神社参拝、宮城這拝、特別志願兵制、国語(日本語)生活の刷新、朝解語使用の禁止、創氏改名、
国民徴用今の適用による強制連行などを着々と実施していった。
国民精神総動員朝鮮連盟は一九四〇年、日本での大政翼賛会の結成に呼応して国民総力朝鮮連盟に再編し、
道義朝鮮の確立、
皇国臣民の錬成、
決戦生活の確立、
必勝生産力の拡充、
徴兵制の実施
などの五大目標のもとに、行政機構に準じた連盟の下部組織を通じて具体的な運動を展開した。
日本では一九三八年十一月内務省の管轄下に中央協和会を結成し、在日朝鮮人の日本への同化と戦争協力をおし進めた。
皇民化政策のなかで朝解語の使用禁止、「国語(日本語)常用」がもっとも強く叫ばれたが、それはその政策への反対が大きかったからでもある。朝鮮総督府は各地で国語講習会を開催するとともに、もろもろの官庁・役所では日本語でないと事務・陳情のいっさいを受け付けないことにした。こうした強制によって朝鮮人で日本語を解する割合が、一九三八年の一二・三八%から、一九四三年には二二・十五%に高まった。