2020/08/15(土)18:33
一月二日 与謝蕪村 ゆめ二つ
一月二日 与謝蕪村 ゆめ二つ 与謝蕪村。摂津の人、諸方か流浪して後京祁に住む。 天明時代。芭蕉の正統の庖廃れしを中興して俳壇に一新境を拓く。 「ことしは歳旦の句もわらじ」といふ言葉は、 蕪村の生涯がかなり窮迫してゐたことを知ると其心持がわかる。 [武隈の古ごと」とは、後拾遺集に橘季通の歌 「武隈の松は二本を都人いかがと、問はばみきとこたへん」 とあり、芭蕉が奥の細道の旅に 「桜より松は二木を三月越」の句を残したその事である。 夢二つ 蕪村
ことしは歳旦.の句もあらじなどおもひゐけるに、 蠟月廿日あまり八日の夜のあかつきのゆめに、 あやしき翁の来りていふやう、 おのれはみちのくにの善正殿にたのまれまいらせて、 京うちまゐりし侍るおきななるが、 よきついでなればそこに奉るべきものゝ侍れば、 こゝにまほで来ぬとて、ひらつゝみときて、 根松の緑なるをふたもととうでゝ、 これを御座のいぬゐの隈に槙おき給はゞ、 かぎりなきよろこびをも見はやし給はんと、 いひつゝ、かいけちて見えずなりぬ。 ゆめのうちおどろきても、 此翁にむかひかたるやうにおぼえて、 かの武隈の古ごとおもひ出られて、かくは申侍る。 我門や松はふた木を三の朝 夢に播磨がたに舟をうかぶ。 風おもむろに浪あらそはず、 悠々たる春光、其興いふばかりなし。 さあるほどに此舟つゆもうごかず、 只、鉄索をもて金輪に繋ぎたるがごとく、 舟子ども、とかくすれどやりぬべくもあらす。 ねたく見入たるにこそと、 舟中の人々ただ泣になきつ、 おのおの身にそふ寶をときて海中に投じ、 かの魚の執はらさせよなどひそめき聞ゆるに、 夢うちおどろきて 帆虱(しらみ)のふどし流さん春の海 (『蕪村文集』)