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征夷大将軍は、武家にとって最も重要な官職だ。これに任命されないかぎり、幕府は開けない。 武士の最高の地位につく人間だけが、この職に任命された。 よく知られている征夷大将軍は、坂上田村麻呂である。少し年配のかたなら、蝦夷征伐に武勇をふ るい、国家の範囲をひろげた人物として習ってこられただろうし、戦後の教育をうけられた人でも、 ほぼ同じようなイメ-ジをもっておられることと思う。 田村麻呂は、じつは最初の征夷大将軍ではない。この職は、いわゆる令外宮であって、軍事法令である軍防令のなかに規定をもっていない。 蝦夷征討が必要になったときだけ置かれる臨時の官なのだが、はじめて任しられたのは、延暦三年(七八四)の大伴弟麻呂である。征夷将軍の名はすでに奈良時代のはじめにみえているが、将軍は約一万の兵を率い、大将軍は約三万を率いることになっていて、異なる地位である。 あまりに坂上田村麻呂が有名なために、彼がその最初だと思われるにいたったわけだが、のちにも、九世紀のはじめに文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)が任命されている。もちろん、蝦夷との対立が起こったからである。 これ以後、蝦夷との軍事的緊張関係が解消したため、長く征夷大将軍は任命されていない。綿麻呂についでこの官職につくのは、寿永三年(一一八四)の、源義仲である。この間千百年、征夷大将軍は存在しなかったのだが、国家の軍事的権限を執行する職であることが現実のものになったのは田村麻呂のときであり、その前例にもとづいて義仲やまた源頼朝がこの職に就くことになる。 その後、武士が政権を動かすときに、征夷大将軍になることが必要だと考えられるようになる前提が、田村麻呂によってつくられたといえる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年11月25日 06時52分01秒
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