2021/12/27(月)11:03
甲斐の古歌 差出の磯 潮の山 山梨の丘
しほの山、さし出の磯
▽ 磯月 雅言朝臣 しほの山さしての磯の秋の月八千代すむへき影そみえける 『白河殿七百首』秋 類集群従。巻第百六十五 ▽ 賀歌 よみ人しらす 【成立-延喜五年(905) しほの山さしでの磯にすむ千鳥君がみ代をばやちよとぞ鳴く 『古今和歌集』巻第七 ▽ 文保百首 忠房親王 小夜千とり空にこそなけ塩の山さしでの磯に波やこすらん 『新千載集』 ▽ 祝 五首 「建仁元年(1201)三月内宮御百首」 しほの山さし出の磯のしきなみに千とせをいのるとも鵆哉 『後鳥羽院御集』 類集群従。巻第四百二十三 ▽ 片戀 後徳大寺左大臣 波さわくさし出のいその岩ねまつかたにのみ袖ぬらせとや 『夫木集』「百首御歌合」 ▽ 暁千鳥 しほの山かよふ千鳥の聲すなりさしてか磯の明くれの空 『源有房朝臣集』 有房-建長三年(1251)~元応元年(1319) ▽ 日本名所千句 宗祇法師 友千鳥さし出の磯や暮れぬらんつるの郡に鳴きわたるこゑ はるばると甲斐の高根は見えかくれ板野の小菅末なひきなり 露にぬれ霧に分け入る小笠原くる人うけよ酒折の神 『宗祇法師連歌百韻』 宗祇-生、応永二十八年(1421)~没、文亀二年(1502) ▽ 千鳥を讀侍ける 権中納言長方 おきつ汐さしでの磯の浜千鳥風寒からし夜には友よぶ 『玉葉和歌集』巻六 冬歌 【成立-正和元年(1312)】 京極為家撰。 ▽ 権僧正公朝 千鳥なきしほのさしての磯の松やちよのこゑに千代の色そふ 『夫木集』「弘安元年中務卿親王家百首」 ▽ 隆信朝臣 や千代とそ千鳥なくなるしほの山さし出の磯にあとをたつねて 『夫木集』「文治六年女御入内御屏風」 ▽ 左近中将經家卿 しほの山さし出のいその明かたに友よふたつの聲きこゆなり 『夫木集』「建長八年百首歌合」 ▽ 月前船 氏部卿為家 なみのうへや猶すみまさるあま小舟さし出のいその秋の月かけ 『夫木集』「嘉禄三年百首」 ▽ 夜千鳥 頓阿法師 夏ぬるき寒き霜夜の月影もさし出の磯にちとりなくなり 『草庵集』【成立-延文四年(1359)頃】 頓阿-生、正応二年(1288)~没、文中元年(1372) ▽ 聖護院道興法親王 此国のしほの山さし出の磯とてならひたる名所なけれは 春の色も一しほの山なれは日かけさしての磯そかすめる ▽ さしての磯にて鶯のなくこゑをきゝてよめる はる日かけさしていそくかしほの山たるひとけてやうくひすのなく 『廻国雑記』 夢窓国師 甲州河浦と云所に山こもりしておはしますける庵の庭の雪むら消て人のふみたるに似たりけるを御覧して 我庵をとふとしもなき春の来て庭にあとある雪のむら消 『夢窓国師御詠草』秋類集群従。巻第二百六十五 甲州ふえふき河の水上に住給ひけるころ 伊勢に生まれ、甲斐に移住。 流れては里へも出る山川に世ゐいとふ身のかけはうつさし 夢窓-建治元年(1275)~感応二年(1351) 七彦 ▽ 七彦は甲斐カ根の邊に在り禁中の煤掃に此米にて粥を調すと云。(『甲斐国志』はこの説を比定) 俊頼卿 君が代をななひこのかゆな返り祝ふ言葉にあへざらねや 『散木奇歌集』 九 七夜 俊頼卿 君が代は七日子の粥七かへりいはふ言葉にあえさらめやは 『夫木集』「永久四年(1116)百首」 甲斐を詠む ▽ 稲妻 尹賢 秋の田のほのかにかすむ露のまもかけはとゝむるかひの稲妻 応永二十一年、『頓證寺法楽百首』▽ 読人不知 甲斐国よりのほりてをはりなるける人の許にありけるはかなき事によりてなありそとおひいたしけれは 鳥のこのまたかひ乍あらませはをはと云物はおひ出さらまし 『金葉和歌集』第九 白河院院宜、源俊順撰。 【成立-天治(1124)】 ▽ かひかねは山のすかたもうつもれて雪のなかゝにかゝる白雲 『順徳院御集』【成立-貞永元年(1232)詠作、嘉禎三年(1237)定家の批評、隠岐の御鳥羽院合点を受けた】 ▽ 仲文(藤原) 筑摩江の鰹はみゆると命をそかひつやりつるつるの郡に 『藤原仲文集』 仲文-生、延長元年(923)~没、正暦三年(992) ▽ 甲斐へ下る人に 雅有(飛鳥井) わかれるは袖こそぬるれ假初の行かひちとは思ふものから 『隣女和歌集』 雅有-生、仁治二年(1241)~没、正安三年(1301) ▽ かひ歌にあひてあはぬ心を かひかねのかひもなく又あひも見すさやの中山さやは思ひし 『後葉和歌集』巻十九 雑 ▽ 甲斐守にて国に侍けるころ朝光大将のもとに侍ける人のもとにいひつかはしける さすらふる身をいつこにと人とはゝはるけき山のかひにとをいへ 『続詞花和歌集』巻十八 雑【成立-室町前期末頃】