2冊目の天使本
先日、「愛と感謝」の生き方を実践出来る人になりたいな~と思った時のことですがだったら私が思っていた「ヒーリングが出来る人になりたい。」という思いについても考えました。お仕事としてやりたいわけじゃなくて身近な家族や知り合いが何かあった時に出来るようになりたいとずっと考えていたのです。でも、それって「何か有るかもしれない」という不安から自分を守るためかも、とふと思いました。子どもの頃から今までずっと何度も何度も身近な人が次々に精神を病む事が続いててそのために悲惨な亡くなり方をする人もいてもうそんな人は絶対に見たくないという強い不安と助けられなかった罪悪感があるわけです。何度も同じ状況を繰り返し経験するのは私がそこから何か学んでいないためにまた繰り返されるのかも、とか。今は周りはみんな元気で平和だけどまた同じような事があるのではまさかそれが家族だったらどうしようと常に不安に思っているのです。思いは実現する、という説を信じる私は将来の身近な人達の不幸を不安に思うことで本当に不安が現実になるかもしれない。そのために備えてヒーリングのやり方を勉強したいと思うのはもしかして本末転倒かも?と。ヒーリングに興味を失ったわけじゃないです。ただ出来るようになりたいという動機が周り人達の幸せじゃなくて自分の不安や恐れだった事に気づいたわけです。今ドリーン・バーチュの「女神の魔法」の中の「ア・コース・イン・ミラクルズ」という本について書かれている箇所を読んでいるところです。「ア・コース・イン・ミラクルズ」は近年、心理学者が偶然キリストにチャネリングして書かれた本とのことで、ドリーンが原書を偶然読む機会があり読みながら考えた事等が書いてありました。そこに書かれている罪の意識とか赦しなどの記述がちょうど今考えていた事にリンクするような気がしてじっくり読まなくちゃと思っているところ。それにしてもドリーン・バーチュの本は読むだけですっごく気持ち良くなれるのが不思議。もっと早く読んでおけば良かったと思ったりでも読むべきタイミングが来たから素直に読めるんですよね、きっと。