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テーマ:佐野ラーメン(8)
カテゴリ:津布久姓600年のルーツ
私がまだ小学生の頃、親父に連れられて何回か佐野へラーメンを食べに行ったことがあった。当時はまだ旧田沼町に住んでいたので東武電車で15分ばかり乗って佐野に向かった。佐野駅前は今は区画整理が済んで大分街並みが変わったが昭和25年頃は、駅 周辺はごった返していた。突き当りが佐野合同タクシー、右角が丸通の事務所があって最初の角を曲がって松竹映画館の方へ細い道を歩くと、道の両脇には例の華やかなお姉さん達が立っていた。私が高校1年までそんな風景があったような気がする。 2・3分歩くと右側に斉藤陶器店、左側にポルシェがあってそこを曲がると右側に紅色と緑色で彩られまさしく中華料理店っという感じの「新栄軒」があった。店主は中国人で胡加品と言う人だった。「品」を中国語で「ペン」と発音するのかどうか定かでないが、多くの人がペンさんと呼んでいた。ここが佐野青竹打ちラーメンの元祖だとは後になって知ることとなった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年08月31日 19時01分47秒
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