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テーマ:佐野ラーメン(8)
カテゴリ:津布久姓600年のルーツ
ペンさんの店無き後、しばらくしておやじの店やおぐらや、なべちゃんラーメン・五十番や森田屋などが知られていた、と言うか私は寄ったりしていた。餃子では餃子太郎と言うのがあってよく寄ったなぁ~。その後店を構えてのラーメン屋と言うより農業用のビニールハウスで赤ちょうちん。夕方から深夜にかけて開店していた店があちこちに出来始めたのは昭和五十年代半ば頃かなぁ。あっそうそう古いバスを用いたバスラーメンもその頃からかなぁ~。呑んだ後のラーメン一杯、ダンプ相手の街道脇の深夜ラーメンなど、とにかく味にうるさい御仁に気に入ってもらうために苦心を払ったんだろうな」と思われる。こんなに世間に知られるようになったのは、ラーメン会の設立とそれをバックアップした元佐野市長の故毛塚吉太郎氏の力は大きかったのではないか?」と思われます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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