2024/07/02(火)13:44
奥さん、義子が皇子を産んだかもしれないワ
一条天皇女御には、元子と義子がいましたが、元子は妊娠しましたが、流産❓、
死産❓、想像妊娠❓で終わってしまいました。
義子について、専門家は、
「定子に皇子を産ませたいので、敢えて義子を寵愛しなかったのでは」
と言う説も挙げています。
義子は22歳で入内し、妊娠すらせずに一条天皇の死を迎え、その後は再婚せずに
80歳で生涯を終えています。
ところが、以前から読んでいた我が家にある「栄花物語」の中では、義子は
皇子を産んだけれど、その皇子は早世したことになっています。
妊娠したとかお産をしたという記事はなく、一条天皇が亡くなった後、義子
に長歌が送られてきます。
送ったのは、義子の義理の姉❓と、正確にはわかっていないようですが、
身内の女性で、その皇子の乳母を任じられた人と推察されています。
返歌を返した義子も、早くに亡くなってしまった皇子のことを悲しんでいま
す。
今では義子が皇子を産んだことは、どこにも見られないので、恐らく「栄花
物語」の作者の勘違いなのかな、と思いますが、長歌がやり取りされている
点が引っ掛かります。
私が持っている「栄花物語」は、原文の上に頭注があり、そこに解説や一部
現代語訳が載っています。
それを読むと・・・。
「お産の紐も無事に解け、・・・身をむつきにくくみ参らせてお世話申し上げ、
・・・。
霜月に入ると、大切にお育て申し上げた若君は思いもよらず・・・お亡くなり
になられた・・・。(若君は陽春か晩春の頃出生、11月か12月に死亡か)」
とあります。
義子からの返歌では、
「はかなく世をさらせ給う御子とも知らず玉とお見上げ申して大切にお育て申
してゐる中に、御子ははかなくご早世なさってしまいました」
また、他の皇子達は健やかなのに、どうして私の御子だけが世を去ってしまっ
たのか、とも詠んでいます。
んー、どうでしょう❓
「栄花物語」は創作が多く、道長やその一家については、事実を曲げて讃える
わ、花山法皇については、実際にいない皇子や皇女を作ったように書いて、
法王の女好きを強調したりしていますが、義子が皇子を産んだことを隠す必要
はないですよね❓
それでも、他の書物には見られないので、間違いでしょうか。
小さいのに、大人の衣服の小さいのを着ているの、て清少納言ではない
けれど、とっても可愛いですね
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