沖縄本島中部の東海岸側の山の上にある
中城城跡。2000年11月に
首里城とともに
ユネスコの
世界遺産にも登録されている。また沖縄県では首里城、
今帰仁城とともに
日本100名城にも選定されている。
駐車場からなだらかな坂を階段を登ると、広場になっている。城址は入場料300円、首里城のような観光施設と併設されていると広さも把握しにくいが、
中城城は城壁が当時のまま残る城址で、かなり広い。今帰仁城や
座喜味城、
勝連城よりも広い。城壁のアーチ型の石門をくぐり、三の郭、二の郭と過ぎ、頂上の一の郭は断崖絶壁で、頂上からは、西の
東シナ海も東の
中城湾、
太平洋も一望。アーチ型の石門は、ところどころ木で支えられてはいるものの原型をとどめている。一の郭の先にも南の郭というのがあり、その先が当時の正門になっているようだが、その先は立ち入り禁止になっていた。一の郭の脇には西の郭、三の郭の脇には北の郭がある、それぞれの郭は城壁で囲まれて、石門をくぐるようになっている。
1853年、浦賀に来航する前に
琉球に上陸したアメリカの
ペリー提督一行も、ここを訪れ、スケッチを残しているそうな。 そのかいあってか、あるいは
日本軍が利用しなかったこともあり、
太平洋戦争の
沖縄戦では、さほどの被害が無く、その後も米軍に接収されずに残った。
中城城は、14世紀の中ごろから後半にかけて、代々の中城
按司により築き上げられ、本土の年号で
嘉吉元年(1440年)には、
北山監守で座喜味城主だった
護佐丸が
首里の
中山尚忠王の命により、勝連城主の勝連按司
阿麻和利を攻略するためにここに移り、更に強固な城に改修、三の郭や北の郭はそのときにできたもので、一番弱そうな部分が強化された。他の城と比べる限り、到底落城するとは思えないが、
長禄2年(1458年)、勝連按司阿麻和利は首里の中山
尚泰久王に取り入り、護佐丸に謀反の兆しありと風潮し、
琉球王朝の
御旗を掲げて、中城城に攻め入り、護佐丸は王朝への忠義から王朝の御旗には逆らえないと、戦わずして自害したそうな。
どうしても気になるのが、一の郭や南の郭から見える骨だけの建物。まさに廃虚。立ち入り禁止になっていて、後で山の裏側に廻っても、隣の山の頂上に建っているだけで、行きつく道もない。後で調べたら、
中城高原ホテルという建物で、
沖縄海洋博覧会にあわせて開業しようと建設されていたが、その途中で業者が倒産、そのまま骨だけの建物が残されたそうな。
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なんと中城高原ホテルの廃虚ぐあいのビデオもでています。
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