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カテゴリ:法律、制度
国選弁護制度について概要を書いてきました。
弁護士の感覚として、国選弁護をやって儲かるのかといえば、率直に言ってそんなことはない。 警察署や拘置所(被告人との面会)、検察庁(捜査記録の閲覧・コピー)、裁判所(公判)に度々出向いて、8万円程度が後払いされるだけなら、他の仕事をやったほうがマシです。 でも刑事事件の被告人には弁護人をつけてもらう権利があると憲法にも書いてあるから、憲法上の、いわば公益上の要請として、協力しようという気持ちでやっている弁護士が多い(と思う)。 もっとも私個人は、日々の業務で、どの事件でいくら収益があるといったことはいちいち考えていません。 儲からない、ペイしないような仕事もあれば、正当な報酬の出る仕事もある。分け隔てなく仕事をこなしていけば、トータルとして法律事務所が成り立つだけの収益があがる。そういう感覚です。 ところが最近、司法制度改革が云々されるようになった。 「弁護士の人数は規制されすぎている、もっと数を増やして、弁護士にも競争原理を取り入れないといけない」と、主に経済界から言われるようになった。今後、弁護士人口は増えることが必至の状況です。 たしかに、現時点では弁護士はまだ少ないと思うし、もう少し競争させてもいいように思う(法務大臣が「増やし過ぎ」と言ったらしいですが、その辺りの議論はまた改めて)。 しかし、弁護士もサービス業とはいえ、普通の商売と全く同じに考えると、やはりおかしくなる部分はある。国選弁護など公益的な役割を果たさないといけない部分が多い職業だからです。 弁護士ももっと競争せよ、と一部の経済人が言うなら、若手弁護士としては「そうおっしゃるなら競争しますで」と言うでしょう。 すると、国選弁護などの、ペイしない仕事は誰もやらなくなります。そんな経済原理に反するような仕事をしていては競争に負けてしまうからです。 その兆しはすでにあらわれていて、東京や大阪の弁護士会では、国選弁護などの公益活動を義務化し、一定量以上の公益活動をこなさない弁護士は名前を公表するとか、課徴金を取るという制裁を科することになった。 従来は、儲かる仕事もそうでない仕事もこなすことで、バランスが取れていた。 それが社会の要請として競争原理が強調されるようになれば、国選弁護などの公益的な仕事は誰もしようとしなくなる。その一方で弁護士会は制裁をもって公益的業務を強制する。 すると後はどうなるか。 「イヤイヤながら、やる」 ということにならざるをえないでしょう。 かくて片手間の国選弁護が増え、富山の冤罪事件のようなことがまた生じかねないのではないかと、それが不安です。 あと少し続く。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/10/24 09:55:23 AM
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