sweet storm

2011/05/22(日)01:29

ここはどこか

単なるつぶやき(212)

王さまに何か、喜ぶものを作ってあげたいです。 もはや、彼岸にいる彼なら、何を作ってあげても喜ぶのでしょうが。 そして、何を作ってあげても、本当の意味で彼に届くことはない。 ホーキンス博士が、死後の世界はない。と発表しました。 今まで、それを認めるのが怖かった私は、やはりそうかという絶望感とともに、 何か少しすっきりしたような、もう、正しいのか、それとも間違っているのか、 生きている自分には絶対に判断ができないようなことで ずっと悩まなくていい安心感というのか、 相反した気持ちがごちゃまぜになっていて、今までの複雑だった気持ちが 別の形でまた複雑になってしまったのですが、 それでも、今の複雑な気持ちの方が、少しだけ、前向きな気がします。 いえ、前向きというよりは、後ろにあった重いものが少しだけ減っている、というか。 そして、死後の世界は無いという主張は、 生きていたときの王さまの主張でもありました。 しかし、死後の世界は、きっと生きているもののためにあるものなのでしょうね。 実際に、死後の世界があるかないかは、どうでもいいのかもしれない。 ただ、そこにいると、そう信じることで、 残された者が安心したいだけなのかもしれません。 それがわかっていたからこそ、王さまも、死の間際、 ずっと、私と娘のそばにいると約束してくれたのでしょう。 死んで行く人にも、そばにいられるのかなんて、本当はわからなかったのでしょうに、 死の間際という、最も人間が真剣で、薄く、透明にならなくてはならない時間に、 こうした戯言にも似た会話をしていた私たちは、 他の方から見たら、そして、後の私から見ても、 痛々しくも、きっとどこか滑稽に見えることでしょう。 まだ、今の私には滑稽だとは思えませんが、 そう思えるときがきっと来るに違いありません。 こうして少しずつ、痛みが和らいで、 新しい出会いが私にも、娘にもたくさん訪れて、 死んで行った者と、生きている者との境界がどんどんはっきりしていく。 その先に何があるのか、何を得て、何を失うのか、 とどまることができずに、流れていくしかない者は、 どうやっても、境界のこちらでしか生きられず、 痛みは薄らいでも、また新たな痛みを生まれるのを感じながら、 そのときに向かってゆくしかないのでしょうね。 生きるということは、それを思い知ること。 知らずにいたかった。 のんきな奥さんのままでいたかった。 王さまのことを考えると、まだまだ涙が出ます。 死後の世界が無いのなら、もう、王さまは苦しむことも無いでしょう。 現世で悩むより死んだ方が楽になるということになってしまうのですが、 そういうと、きっと、残された者の為に生きろといわれる。 じゃあ、この人生は、他人の為にあるのか? 辛いのは自分なのに。 楽しいこともあるだろうと言われても、 楽しいことと、悲しいことの振り幅が大きければ大きいほど、 荷物はどんどんと重くなるのではないでしょうか。 生きるとか、死ぬとか考えていくと矛盾だらけです。

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