カテゴリ:反省は、若さのしるしである
仕事を終えてオフィスを出ると、完全な暗闇が辺りのあらゆるものを包み隠していました。 点々と灯る電灯のほの明かりと、これまで何度も往来して脳裏に刻み込まれた記憶を頼りに、光を欠いた道のりを歩きます。 その足取りはいつもに比べて緩やかで、連休を迎えようとしている人間の心境を雄弁に物語っています。 それにしても、2010年の仕事始めとなったこの一週間は、地平線しか見えない荒野をマラソンしているように果てしなく感じられました。 年末年始の長期連休は飛ぶように過ぎ去ってしまったのに、たかだかその半分くらいの出勤日は、遅々として先に進もうとしてはくれませんでした。 しかし、遮二無二走っているうちにいつの間にかゴールテープを切っていて、いまようやく週末の夜を迎えようとしています。 労働によって宿ったほてりを冷ますように、しばらくは手袋もせずに無防備で夜風に当たっていました。 傍目も気にせず大きく吐息を漏らし、そして冷ややかな空気を思い切り吸い込みます。 熱とともにわだかまっていた疲労感が、呼吸に合わせてスッーと流れ出すのを感じました。 そこにあるはずのブロック塀や庭木は闇のなかに隠れてしまい、通りかかる自動車のヘッドライトを浴びた瞬間だけ、にわかに姿を露わにします。 その瞬間的なイメージを目の奥に焼きつけ、前へ前へと歩を進めます。 「う、いい匂い・・・」 ハヤシライスでしょうか、それともハッシュドビーフでしょうか、デミグラスソースでグツグツと煮込んだ美味そうな匂いが、どこからともなく漂ってきました。 その匂いの温もりに励まされ、心許ない闇夜の歩みに弾みがつきます。 「急ぐことはない。一歩一歩、注意深く着実に進んでいけばいい」 自分自身をなだめ諭すように、心のなかでつぶやきました。 「そうなんだよなぁ。行くべき目的地が定まると、オレはついつい突っ走ろうとする性癖があるんだよなぁ・・・」 突然、幽体離脱したみたいに自分自身のことが客観的に見えて、そんなことを思いました。 生きる姿勢としても、また現実の振る舞いとしても、確かに自分にはそういうきらいがあることを自覚します。 もちろんそれは悪いことではないのですけれど、痛い目に遭うことも少なくありませんでした。 先を急ぐあまりに見過ごしてはならないものを見落としたり、足元に転がっている物に気づかず派手に転倒したり、急いでやることはロクな結果をもたらしません。 だから、目指すべきものが見えた時こそ、自分自身を見つめる「眼」が必要です。 まずは焦って前へ進もうとしている自分自身に気づくこと、そして逸る気持ちを抑えて、いま目を向けるべきものにしっかりと焦点を合わせること。 では、どうすればそういうことをうまくやれるのでしょう? 第一に、我が身を見つめなおすためには、一人になることです。 夜道を一人で歩く、あるいは早朝の河原を一人で走る、そういう自分自身と対峙するひとときが気づきを与えてくれるものです。 第二に、心を静めるためには、あらゆる感覚をいったん手放してしまうことです。 まぶたを閉じて目に何も映さない、誰もいない静かな場所に身を置く、あらゆる感覚からいったん離れてしまうことで、胸に渦巻いているざわめきは静まります。 真っ暗な通勤路を歩いているうちに、きっと今のわたしにはそうすることが必要なのだと感じたのでした。 明日から始まる三連休を、静謐を取り戻すきっかけにしていけたらと思います。 何はともあれ、今年も健やかに仕事へ向かうことができて、心から感謝します。 ありがとうございました!! 【三文日記】 500日ぶりに「Wii Sports」をやってみました。 以前うまくできなかったスキージャンプに熱中し、ちょっとずつコツを掴み始めました。 なんだか十数年ぶりにテレビゲームの面白さを実感している今日この頃です。 ●今日の天気 晴れ。 ●今日の運動 ジョギング30分。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010/01/09 09:40:32 AM
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