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東北に比べたら甘いでしょうが生まれて初めて 被災者のほんの少し気持ちを理解できたと思います。
停電48時間!! 水・電気・すべて停止 唯一ガスが使えたのでたすかりましたが・・・ ******************************************** 11日の夕方おじいちゃんが近くのコンビニに お弁当を買いに走り、夕飯がろうそくの中頂くことができました。 食器の散乱はある程度片付けたけど 何しろ掃除機が使えないので、手作業では行き届かず スリッパは必ず履いて安全を確保です。
■手の衛生は去年新型インフルで活躍した消毒スプレーが 再び大活躍をしてくれました
■唯一石油ストーブの小さいのがあったので それで暖をとりました!沸いたお湯は湯たんぽにいれました。
■ラジオがないので携帯のTVか、私のポータブルナビ のTVで情報を得ました。充電がなくなったらパパの 車のナビTVを見ながら、温まりながら私のTVを充電しました。
■7時には真っ暗ですが、ろうそくの明かりと懐中電灯で なんとかすごしなにもすることがないので9時すぎには就寝・・・ お布団で寝られることに感謝しながら・・・ 明日は必ず電気がくると信じながら・・・・
■翌12日朝、電気も来る様子がなくとりあえず水の確保に 近所を散策すると・・・近所のスーパーで行列が!? 暗がりの中手計算で一家族10点までの買い物が 出来るとのことで並びました。5家族づつ入れて 店員さんに値段を書いてもらい精算します。 だけど水はありません・・・多少あせりが出てきました。
■隣のドラッグストアにも列が出来きていたので スーパーの食料確保の後にドラッグストアへ並びました。 1家族10点で2組ずつ入れました。 ただ、水を8本購入と、携帯をシガーライターで充電する コードとホッカイロを購入して10点になってしまい 生活雑貨の購入は諦めました。
■12日にも電気はくるものと思っていましたが 来る気配はなく、買って来たお水をなべに入れ ガスでおコメを炊きました(美味しかった!(^○^)) 水のありがたさ、電気のありがさが身にしみました。
■残っている食器にラップをかけて何度も使いました。 おコメのとぎ汁、ヤカンのお湯の残りありとあらゆる水を 何度もうまく利用して使用しました・・
■トイレの水も流れません、2fはつまり気味 携帯トイレをかぶせてみましたが、凝固なんてしません
■夕方暗くなると、気持ちも沈んできます。 また今晩も暗い夜がやってくるね・・とご近所のおじさんも 話しているくらい皆同じ気持ちなんだなと思い励まされました。
■13日パパは会社から呼び出しを受けて行ってしまいました 私は明るいうちに床の掃除を始めたり、自転車を学校へ とりに行ったりしました。学校は避難所になってました。 ガソリンが貴重になってくるから自転車が大活躍なのです。
震災3日目で子供たちのお風呂願望がピークに 今晩も無理だろうと諦めて早めにガスでご飯を炊く準備 をしていた時・・『ピンポーン!』って音が! 家族中一斉に部屋から飛び出して『電気付いた!!』 『それーー水を出せ!』『お風呂を沸かそう!』 『ガソリンスタンドへ灯油を買いに行こう!』 もーそれはテンヤワンヤでも嬉しかったな。。。。 今思えばたった48時間だけだったのに 先が見えない不安が一層気持ちを沈めたのでした。
■14日震災4日目 パパ又会社の復興に向け出勤女性は休みです。 私は自転車でスーパーへ買い物へ・・・ いつまで続くか分からない状況でも育ち盛りの食欲に 『こんな状況なのだから少しは抑えろ!』 と言ってはみても・・・やっぱりお腹が減るらしく 食料の買出しは必須でした。 途中ガソリンスタンドへ給油のため並ぶ車が数キロ・・・・ とてもこんな列には並べません何時間かかることやら。
まだ近隣の市では電気水が不通で、会社の若い夫婦が お風呂に入りに来ました・・・ やっぱりさすがにこんなにお風呂に入らなかった事はなく 絶えられないとの事でした・・・
■15日出勤!! 学校が休みの子供たちを家に残し、省エネすうこと 余震が来た時の火の元の消火などメモに残し 後ろ髪引かれながら出勤しました~ 会社も、それはそれはひどい悲惨な状況でした 皆率先して手分けしながら大掃除です・・・ 一人一人が協力して大きな力になることを実感しました。 たった1日でも少しづつではあるけれど着実に綺麗に 蘇ってくるのを目の当たりにすると、ホント 人の力は凄いなって・・。
朗報!ガソリンが友達の旦那さんが勤めているスタンド から連絡をもらって20リットルだけgetできました。 助かった!!
■16日 学校が午前中事業で再開 近郊の小中学校はまだお休みの中、わが市は再開 思わず先生に校舎の状況と放射能の状況を確認して しましましたが、私も学校を、先生を信用するしかないなと 思いました。子供たちは久々の友達に会えた喜びで 顔つきが変わって帰ってきました・・・ やっぱりこの4,5日で表には出さないけれど相当の恐怖と ストレスが子供たちなりに溜まっていたんだなっておもいます。
■17日から18日 放射能の不安が大きくなりTVのニュースから目が離せません ガソリンが少なくなっていく中で出勤できるかの不安が大きく なってきています。会社の先輩は6時間並んでやっとの思いで 入れられたとの事・・・深刻な悩みです。。。
会社は1時間早く4時には退社できました。 普段一人の職場に長くいたけど、久々に皆と一緒の 事務所にいられて、たわいもないことで笑いあったり お喋りしたりした時間がとても貴重でした。 人間笑う事で救われることが多いって実感しました。
ながい1週間(4日間だけど)がやっと終わり明日からは 3連休です。
■19日~21日 3連休 休み初日はまだ家の食器の破片の片付けやら 掃除、洗濯、雑巾がけ・・・買い物 会社の帰りではまったくもってスーパーが空っぽなので 土曜日の朝一で買出しにも行きました。
そんな中、パパはのんきにサッカーへ!恕恕恕恕恕 3日間のうち2日間は練習がありました。それだけでも ありえへん!!って気持ちだったのに・・・ 真ん中の日には AM サッカー練習 PM 年度末総会夜 6年生の謝恩会 とまあ、まる1日いなくて、ご帰宅11時過ぎ さすがにコレには呆れて。。。 『この日本中が大変な時に何を考えてるのか?』 『この~非国民!!!』恕恕恕恕恕恕恕恕恕恕 延々と怒った労力をエネルギーに変えたらどれほど のものだろう・・・・って程、無駄なエネルギーを 酔っ払いに使い果たしてしまいました。 本人は 聞いちゃいませんがな
この日はお彼岸で、実家へも行きました 子供たちと3人で、実家でも大変な中 子供たちにピザーラをデリバリーしたりから揚げやサラダ を作ったりして・・・こんな時までいいのにって思いながらも 感謝感謝です
そんな中 休み初日の土曜日かな? 丁度1週間前の土曜日にはまさか、こんな穏やかな気持ちで 過ごせる土曜日がこんなに早く来るとは思わなかったって程 のんびりした午後を迎えられ、安らぎがありました。 とても疲れていたのか、うたた寝ばかりでしたが 安らぎの時間でした。こういう安心した時間が1日でも早く 東北の人たちに戻って来てほしいと思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 27, 2011 11:16:17 AM
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