最後の秘書
今朝5時55分に携帯電話が鳴りました。
「父が5時35分に亡くなりました」とTさんの息子さんからでした。
私はすぐにホテルを飛び出しました。風と雨が強く、タクシーもすぐにひろえません。JRお茶の水駅の行き、神戸行きなどのチケット券のキャンセルをしようとしました。しかし、みどりの窓口はまだでした。するとタクシーがやって来ました。
東京駅のみどりの窓口は混んでいました。キャンセルと変更をして朝食をしました。
するとあのTさんの顔が浮かんできます。
今、私がこうして生活クラブやまがたに携わっているのも、Tさんの選挙に関わったことからでした。そして、Tさんを支持する主婦たちが後にこの生活協同組合の再建に大きな力を発揮するのでした。
Tさんの選挙は市民運動的な基礎をもっていました。あれから28年が経ち、私は51歳になり、Tさんは間もなく89歳になろうとしていました。
Tさんのあの笑顔、気難しい時の苛立ちなどモノクロ写真のように私の目に浮かんできました。
Tさん待っててください。私は最後の秘書として駆けつけますから。
2005年1月16日記
追記 神戸のみなさん、ごめんなさい。こういうことで急に行けませんが、みなさんには小島理事長はじめ5人のダンディな男性が参ります。