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カテゴリ:プロレス
~僕と馬場さんの勝手な連帯~ ●第4回 やさしい目 照れ屋の馬場さん 第1036回 2008年9月28日 1975年12月14日、オープン選手権米沢大会。超満員だった。マシオ駒さんと再会。会場の米沢市営体育館の中で、マシオ駒さんといろんな話をした。 馬場さんが僕たちの傍をゆっくりと見下ろしながら通る。 駒さんは馬場さんに 「オッス!!」と挨拶する。 とても大きい、すごく大きくたくましい。 馬場さんの大きさは傍でさらに感じる。 そしてやさしい目が印象的だ。 「ところで来年の2月に新日本が武道館大会だそうですよ。どんなビッグマッチなのでしょうね?」 と僕が問うと、マシオさんの表情が厳しくなり、 「それ本当!?。うむ、む、む」 と訊きなおしてきた。 「週刊ファイトの記事の中で、カールゴッチのコメントにそうありました」 と、言うと、マシオ駒さんは唸り、顔色を変えた。 「失礼!」 と言って控え室に消えていった。 翌年早々格闘技世界一戦猪木対ルスカ戦をマスコミが大きく取り扱うことになる。 会場で迷子が出た。メイエベント試合に先だって、迷子がドリー・ファンクJR(元NWAヘビー級世界チャンピオン)に抱かれリングに上がる。 百田光浩リングアナウンサー(力道山の長男)がリングで迷子の親に呼びかける。 この時の入場者数5700人(主催者発表)。全日本プロレス米沢大会最高の入りだった。 試合が終わって、ファンたちはレスラーが体育館をあとにするところを眺めている。 「あっ!ジャイアント馬場だ!!」 ファンが握手を求めるとジャイアント馬場は自ら手を隠す。 ファンは二度と会場に行かない。 晩年の馬場さんでは想像もつかない行為である。 僕はそのファンを慰める。 「馬場さんは照れ屋さんだからね」と。 しかし、握手を拒否されたファンたちの中で、照れ屋の馬場さんを感じた人はいるだろうか。 誤解を受けたのではないかと心配になった。 この日、ジャイアント馬場は、ザ・デストロイヤーと組み、ドンレオ・ジョナサン、アブドラザブッチャー組と対戦した。 事実経過に基づいて描いておりますが、ご本人や関係者の名誉のためにも、登場人物のの心理や考えは作者の想像の範囲であることをお断りしておきます。 (イラスト:アントニオ猪木) ~僕と馬場さんの勝手な連帯~ 第4回 やさしい目 照れ屋の馬場さん 「山形マンガ少年」まとめてご覧いただけます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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