イエスの千年王国と聖徳太子のみろくの世はこれから始まる
過去記事です。2021年2月14日(日)聖徳太子の予言による「みろくの世」は2021年2月5日から始まりました。新約聖書の「ヨハネの黙示録」による「イエスの千年王国」はイエスの死後2,000後、つまり2033とされています。しかし、この二つの予言は、全く同じ地球のアセンションの今に関するものであると言えます。なぜか?聖徳太子の法隆寺相輪に付けられた大鎌と、飛鳥の酒船石は「ヨハネの黙示録」の「第14章」からきているものだからです。https://www.wordproject.org/bibles/jp/66/14.htm#0「14 また見ていると、見よ、白い雲があって、その雲の上に人の子のような者が座しており、頭には金の冠をいただき、手には鋭いかまを持っていた。15 すると、もうひとりの御使が聖所から出てきて、雲の上に座している者にむかって大声で叫んだ、「かまを入れて刈り取りなさい。地の穀物は全く実り、刈り取るべき時がきた」。16 雲の上に座している者は、そのかまを地に投げ入れた。すると、地のものが刈り取られた。17 また、もうひとりの御使が、天の聖所から出てきたが、彼もまた鋭いかまを持っていた。18 さらに、もうひとりの御使で、火を支配する権威を持っている者が、祭壇から出てきて、鋭いかまを持つ御使にむかい、大声で言った、「その鋭いかまを地に入れて、地のぶどうのふさを刈り集めなさい。ぶどうの実がすでに熟しているから」。19 そこで、御使はそのかまを地に投げ入れて、地のぶどうを刈り集め、神の激しい怒りの大きな酒ぶねに投げ込んだ。20 そして、その酒ぶねが都の外で踏まれた。すると、血が酒ぶねから流れ出て、馬のくつわにとどくほどになり、一千六百丁にわたってひろがった。ーーーーーーーーーーーーーー2020年2月12日(水)法隆寺の五重塔相輪には鎌が取り付けられています。この鎌は何の意味があって取り付けられているのでしょうか。避雷針の働きのためだという人もいます。しかし、相輪の下部に取り付けられた鎌は落雷を誘うことが有っても、雷除けの役割を果たせる訳はありません。そんな鎌が何故何百年も取り付けられたままにされているのでしょうか。この鎌は雨風に晒されています。一か月もすれば錆びてきて、数年でボロボロになるはずです。しかし、不思議なことに錆びずに300年もこのままなのです。法隆寺五重塔・相輪の鎌のナゾを解く(産経新聞「なら再発見」第47回)2013年09月28日 | なら再発見(産経新聞)現在の鎌は昭和27年に奉納されたものだという。法隆寺では昭和9年に昭和の大修理が始まり、水野鍛錬所2代目の正範さんがその腕を見込まれて刀工として参加した。 建物の解体修理のときに集められた古釘(ふるくぎ)を使い、鎌を鍛えて昭和27年に奉納した。鎌は魔物とされる雷を怖がらせる雷除けの呪(まじな)いのようだ。鎌は予備を含めて8本作られ、同鍛錬所にはあるのはそのうちの1本である。 鍛錬所の奥には、昔ながらの工房が残されている。鞴(ふいご)を使い、代々伝わる鍛錬法に従って火造り・鍛造が行われる。五重塔の鎌も、その古式を踏まえて作られた。 魔除けの鎌は300年ごとに作り変えられると伝わるが、水野さんによれば、それは正確でないようだ。 この鎌は今後100年、200年にわたって法隆寺五重塔に燦然(さんぜん)と輝き、塔を守ってくれることだろう。(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 河井勇夫)鎌は法隆寺に使われていた古釘を鍛え直して造られたものだったのです。現代の最高の技術を以てしても、この条件下で100年以上も錆びない鉄を製造するのは不可能なのではないでしょうか。法隆寺の釘には大きな謎が秘められているのではないでしょうか。2020年2月12日(水)斑鳩寺群は原始キリスト教との関係が色濃く示されているのでした。平御幸さんのエフライム工房から見ていきます。(転載)http://geolog.mydns.jp/www.geocities.co.jp/atelier_efraym/斑鳩寺群はプレアデス星団(スバル座)を模して造られているようです。石棺は神聖キュビトで造られていたのです。そして藤ノ木古墳と叡福寺北古墳の直径はともに52、5メートルで、神聖キュビト尺でちょうど百尺と考えられます。克って、斑鳩寺は高麗尺を単位として造られたと論じられてきましたが、平御幸さんの研究によって、神聖キュビトによって造られていることが証明されていると思われます。飛鳥酒船石遺跡酒船石から猿石まで地軸の傾き23,5度が表現されている飛鳥遺跡「神聖キュビトは、あの物理学者のニュートンが、クフのピラミッドの解析から計算で求めた尺度で、52.4㎝とされていました。でもそれは、メートル法が導入される前のヤードやインチでの計測だから、後の人がメートルに換算した結果と見て良いでしょう。現在は、52.5㎝が常識です。ニュートンは、王の間の寸法を解析に選んだので、そこから神聖な尺度という意味の神聖キュビトと呼ばれるようになったのだと思います。ちなみに、キュビトはラテン語訳で腕の長さの尺度という意味です。ヘブライ語ではアンマと言いますが、面白いことに、古代エジプト語ではマと言います。間(マ)の語源ですね」ウキペディア生命の樹 酒船石 令和元年2月飛鳥探真撮影飛鳥昭雄さんと山上智さんによって、『聖徳太子の「秘文」開封』と「聖徳太子秘文『未来記』開封」の二書が出版されたことにより、聖徳太子に対する認識を根本的に見直さなければならないことになりました。聖徳太子の予言書の存在を否定することは何人にも出来ないことになったからです。しかし、「先代旧事本紀大成経」の69巻目に含まれる「未然記」の存在を認めることは、「先代旧事本紀大成経」を偽書扱いにしてきたこれまでのアカデミーの立場を改めなければならないことに繋がります。それは大変に勇気のいることだと考えられます。「専門家」としては無視するのが最も無難だということになるのでしょうか。ところで、聖徳太子以外の誰かが、「未来記」と「未然記」の予言をすることが出来ると考えられるでしょうか。聖徳太子の最大のブレーンだった秦河勝だったら出来るでしょうか。聖徳太子と秦河勝では、お互いの天命における役割の違いにより分担されていたとと思われます。「聖徳太子」は、イエスと同じく自分の命を投げ出すことによって、この地球世界に「みろくの世」を顕現する役目を持っている方なのではないでしょうか。そして、21世紀の今に再び蘇って、「みろくの世」を造るための先頭に立つと考えられるのです。広隆寺の「弥勒菩薩半跏思惟像」は、言葉によらずにそのことを予言しているのではないでしょうか。聖徳太子の予言書の存在は、聖徳太子の実在の確かな証拠でもあるのでした。『未来記』が預言する七難と三災<聖徳太秘文『未来記』開封抜粋>(飛鳥昭雄・山上智)【第七章/三】一者大風難 二者大水難 三者大火難 四者大旱難 五者大暑難 六者大寒難 七者大雪難又起三災 一者兵乱災 二者疾病災 三者飢饉災【読み下し文】一には大風の難 二には大水の難 三には大火の難 四には大旱の難 五には大暑の難 六には大寒の難 七には大雪の難 又三災を起こす 一には兵乱の災 二には疾病の災 三には飢饉の災新型コロナウイルス騒ぎは、「二には疾病の災」で、まさにまさに、そのままですね。しかし、「新型コロナウイルス」は85パーセントの人は大丈夫なのです。もし感染したとしても死に至る人はわずかなのですからその時は諦めるしかないのではないでしょうか。『未来記』が預言する七難と三災が全て今日の地球世界の状況に当てはまっています。これに加えて「四には経済の災」を加えることが出来るのではないでしょうか。しかし、現在の世界の状況を、「みろくの世」顕現のための予兆と観るか、人類の滅亡のための予兆と観るかの二つの道に分かれますね。70億の人類は一人残らず、自分の自由意思によって、結果的にどちらかの道を選んで行くことになるということになるのではないでしょうか。もう一度ヨハネの黙示録を観てみたいと思います12:「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。13: わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。14: いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。都にはいるためには、自分で自分の着物を洗わなければならないとされています。「イエスの千年王国」=「聖徳太子のみろくの世」の門は全ての人に平等に開かれているのではないでしょうか。拙著「蘇る聖徳太子の真実」で、万葉集は聖徳太子によって始められたことを明らかにしました。その証拠が万葉集第二の歌だったのです。しかし、この本には書かなかったのですが、私は第一の歌も聖徳太子の歌ではないかと考えています。何を言い出すやらとびっくりされるかもしれません。万葉集入門サイトから引用します。万葉集入門万葉集巻一の一籠(こ)もよ み籠(こ)持ち堀串(ふくし)もよみ堀串(ぶくし)持ち この丘に 菜摘(なつ)ます児(こ)家聞かな 名告(なの)らさねそらみつ 大和(やまと)の国は おしなべて われこそ居(お)れしきなべて われこそ座(ま)せ われこそは 告(の)らめ家をも名をも《現代語訳>籠(かご)よ 美しい籠を持ち 箆(ヘラ)よ 美しい箆を手に持ち この丘で菜を摘む乙女よ きみはどこの家の娘なの? 名はなんと言うの? この、そらみつ大和の国は、すべて僕が治めているんだよ 僕こそ名乗ろう 家柄も名もこの歌は第二の歌から150年も前の雄略天皇の歌とされてきました。しかし、150年も前の歌が、何故に唐突に第一の歌として収録されなければならないのでしょうか。その理由を合理的に説明することは出来ないのです。入鹿神社のある小綱町の隣に「内膳町」があります。聖徳太子の奥さんの膳部夫人は「芹摘妃」という別名があると伊勢物語に書かれています。聖徳太子が芹摘みをしている膳部夫人を見染めて、斑鳩に連れ帰って奥さんにしたんだそうです。聖徳太子である蘇我入鹿公は、中年になっても、蘇我馬子が亡くなるまではたびた太子道を通って飛鳥嶋庄を訪れていたはずなのです。小綱町か内膳町あたりで芹摘みをしているうら若き膳部夫人を見染めてしまったのではないでしょうか。芹摘みをしている膳部夫人を、母親の家まで行って断ってからその日のうちに斑鳩へ連れ帰ったのでした。一目で惚れしてしまったということになりますね。万葉集第一の歌はその時の聖徳太子の歌だとしたら何の矛盾も無く治まるのです。もしそうだとしたら、聖徳太子は私たちが考えているような堅苦しい聖人ではなく、本当に人間臭い聖人だったということになってしますのです。参考にこちらのサイトをご覧ください。伊勢物語と仁勢物語 後日談:芹摘妃の正式な名は「膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)・膳大郎女」。身分は低い出自ながらも、聖徳太子にもっとも愛され、愛した妻でした。「芹摘妃」は、聖徳太子との間に、四男四女、八人の子供が生まれました。それゆえ聖徳太子は「死後は共に埋葬するよう」と言ったと伝えられ、聖徳太子が病に伏すと、看護し、共に同じ病に倒れ、太子が亡くなる前の日に没した。現在も聖徳太子と共に、同じ墓所で眠っている。黒路よしひろ「万葉集入門」サイト万葉集入門 (michikusa.jp)万葉集関連書籍紹介 http://manyou.plabot.michikusa.jp/2019年10月8日更新蘇る聖徳太子の真実 著者/飛鳥真探・編集/佐宗知佳 (文芸社出版) 定価1400円(税別)当サイト「万葉集入門」を鑑賞してくださっている飛鳥真探さんが、長年のご自身の研究成果をまとめた古代史論考「蘇る聖徳太子の真実 - 皇室は聖徳太子の血統を継いでいた」を上梓されました。『日本書紀』に隠された暗号を解き明かし、真の聖徳太子の正体に迫ろうとする飛鳥真探史観の集大成。■日本の歴代天皇は聖徳太子の血統を継いでいる■日本の天皇には日本と朝鮮の血統が流れている■善光寺は聖徳太子を祀る寺だった■藤ノ木古墳に納められていた遺体は聖徳太子と膳部夫人である■万葉集は聖徳太子によって始められたなど、実地に足を運び、自らの肌で感じ取ることでのみ見えて来る古代史論考の魅力がここに存在します。また、万葉集においても、その序文が存在したであろうとの仮説を立てて、それぞれの歌に込められた暗号を大胆に考察。謎の歌人、柿本人麿(柿本人麻呂)の正体と、その実像についても迫っていきます。通説を疑うことによってのみ見えて来る<歴史の真実>。万葉集論や古代史論は数多あれど、これほど大胆に通説を解体し、真実を再構成しようとした人物は飛鳥真探氏以外にはいないのではないでしょうか。アマチュア研究家だからこそ出来る通説に縛られない自由な発想。その歴史論考の大胆さに驚くとともに、そこに至るまでのしっかりとした下地の知識の豊さにも感動しました。実地に足を運び、地元の人々と交流し、はるか過去の出来事に思いを馳せる歴史愛好家の醍醐味が詰まったすばらしい一冊を手に取って、ぜひみなさんも失われた歴史の瞬間を想像する楽しさを体感してみてください。万葉集入門(トップページ)へ戻る