カテゴリ:心の音
「人は1人では生きて行けない」
私はそう思っています。 ただ、もしかしたら少し違う意味でそう思っているかもしれません。 私は思ってしまうのです。 宇宙から見た人間のなんと無意味なこと。 たかだか、平均80年前後の生命を生きる人間。 宇宙から見たら大した事じゃない。 私が普段、微生物や昆虫の生命を気にしていないのと同じ様に、宇宙から見たら、人の生命なんて全く気になるものではありません。 人間1人の人生なんて、有っても無くても同じ。 誰が生き、誰が死のうが、人間の生死は地球の一部分でしかない。 微生物や昆虫と何ら変わりない。 人類が滅亡したって、地球が壊れたって、きっと死ぬ瞬間が恐いだけで、後は何もない。 宇宙の存在すら、心配する意味があるのか…分からなくなってくる。 そんなちっぽけな人間の人生に一体なんの意味があるのでしょうか? 必ず死を迎えるのに「生きる」とは、どれほど大切で、どれほどの価値があるのか、考えた事はありますか? 死ぬのが恐いから生きるのですか? まぁ、それもありますね。 結果を先延ばしにしているだけですが。 「命は尊いものだから。」…? 外部からの教材や教育などの、他人からの価値観ではなく、自分の心で考えた事はありますか? なぜ、生きるのか。 今から100年、500年、1000年も過ぎれば殆どの人は忘れ去られます。 そんなものです。 そんな程度のものです。 有名な作曲家や画家や政治家は名を残していますが、それに何の意味があるのでしょうか? 「人の記憶に残る」ことが、それ程大事なことでしょうか? 「後世に名を残した」というものを、死んでしまったら、実感する術も確認する術もないのに。 身内ですら、2~3代前まで辺りしか記憶に残らないのです。 私は祖父母の記憶までしかありません。 人の人生は、忘れ去られます。 では、 なぜ「生きる」のですか? なぜ「目標を立てる」のですか? なぜ「がんばる」のですか? 私の答えは、 「私が死んだら悲しむ人がいる。」 だから、生きるのです。 「私に期待をしてくれている人がいる。」 だから、目標を立てるのです。 「私に救える人、守れる人がいる。」 だから、がんばるのです。 そして、「私の幸せを願ってくれている人がいる。」 だから、私は自分をなるべく幸せにしようと、この身体で精一杯出来ることをしたいと、そう思えるのです。 つまり、誰かの想いや願いが私の生きる意味に繋がるのです。 「人は1人では生きて行けない」 自分1人の為ではなく、誰かの為じゃないと生きて行けない。 そういう意味で私は捉えています。 自身の存在の必要性を他者に見いだせるから、生きて行けるのです。 もしも1人なら、生きることに、なんの意味もありませんでした。 人の「心」がなければ、この身体はただの「地球の一部」でしかなかったのです。 いま流れる時間を、お互いの命を感じ合える人と刻めるから、お互いの為に生きようと思えるのです。 私の命に意味をもたらしてくれるのは、私に関わってくれている方々です。 いつも支えて下さり、ありがとうございます。 出逢って下さり、心から、ありがとうございます。 今、お互いが生きていることに感謝しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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