カテゴリ:本、映画
今年を振り返るとき、震災とセットで語られるのが、福島第一原発の事故である。この事故は、津波や地震のせいではない。天災によって、とんでもない事態が起きてしまうようなモノを、容認していた、いや、推進していた、政府と電力会社、それを取り巻いて利益を得ようとする人たちが引き起こした事件である。 ということは、なんとなく、みんな知っているのだと思う。でも、それをはっきりと確信するために必要なのは、歴史を知ること、だ。 アメリカに負けたちっぽけな日本を、経済的に豊かで軍事的に強い国にする、その流れの中でベストの位置に陣取って、甘い汁を吸い続けたい。巣鴨プリズンの中で、すでにそんな夢を見ていた人たちがいたのだ。敗戦を迎えた日本で、間髪いれず、原発という道具に飛びついた人たちが。 道具は違っても、まったく同じ発想でドツボにはまった、あの戦争が終わったばかりだというのに。お金と権力には、動物的直感が働く人たちがいる。そんな人に限って、戦犯でも、きっちり返り咲く。おかしい、ほんとうにおかしい。日本に、日本人に「反省」という言葉は、通用しないのか。 時代時代の、権力者たちの裏取引や、陰謀、人を欺く宣伝活動など、丁寧な取材で、臨場感をもって、伝えてくれる本である。 正直言って、私は歴史に弱いので、鉛筆片手に線を引きながら読みました。 線を引きながら、自分の生きてきた年譜にしるしをつけているような気持ち。 私が生まれた年に、原発導入の首謀者?中曽根康弘が科学技術庁長官に就任。翌年に、日本初の商業炉、東海原発が着工。 私が育った愛媛では、私が中学生のころに伊方原発が着工、取り消し訴訟が提起され、原発問題は身近なものだった。裁判の傍聴に行った、四国電力に抗議にも行った、東京電力にも行ったしなあ、何もしてないけど、原告団が募られれば参加した、原発反対運動、脱原発運動をしてきたとは言えないのだけど、日本全国の原発や再処理工場はどうしても許せない存在だった。 この本は、私が半世紀生きてきた歴史と、日本という国が、戦後どこから来て、何を考え、どこに行こうとしてきたのか、ということを重ね合わせる機会をくれた。 そして今、原発を許せないと思い続けてきた私も、想像しなかった事態が、起きている。 日本はこれからどこに行こうとするのか。原発はあぶない、生態系を、地域を破壊する、エネルギー源として最悪、経済的にも見合わない、合理的でない、と言いつづけてきた人たちが、今、いい提案をし続けてくれていると思う。 しかし、これまで原発はだめだ、という考えを、裁判でも、行政でも、政治でも、マスコミでも否定し続けてきた人たちが、「ごめんなさい」も言わないばかりか、これからの私たちを救う、ぎりぎりの提案を取り入れようともしない、社会の転換の指針も示せない。なんということだろうか。 だから、歴史を知ること、歴史の真実を共有することが大切なのに。子どもたちに歴史を伝える努力もしなければね。学校では教えてくれないから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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