2008/12/24(水)01:30
非核三原則は核の傘から出られなかった
外務省が22日付で公開した外交文書によると、非核三原則でノーベル賞を受賞した佐藤栄作首相が1965年の訪米時にアメリカの「核の傘」を確認していたことが明らかになった。
このニュースについて、色々なメディアが非難の声を上げているが・・・。
例えばTBSの「朝ズバ」では、論説委員やコメンテーターが「核兵器を搭載した空母が日本に寄港していた。我々が指摘していたことが事実だったことが明らかになった。」とか、「今回このタイミングで公開したのは、核兵器の持ち込みを既成事実化するため」とか、みのさんなんかは「また田母神みたいなのが出てきますよ」とか言っていた。
(注:発言をそのまま文章にしていません)
また、他のメディアでは「40年以上も裏切られていた」とか、「ノーベル平和賞に値しない首相だった」ということも言われていた。
Mishizawa的にはこのニュースは、そんなコメントでは語れない、日本の平和についての根本的なことから認識を改めなければいけない事実が秘められていると思う。
すなわち、「非核三原則は、アメリカの核の傘に守られる前提で実現していた」という状態が40年以上も続いていた、そんな現実が明示されたというのがこのニュースのそもそもの見方だろう。
そして、そんな世界情勢の中で、40年以上もの間「非核三原則」や「憲法第9条」ではなく、「日米安保条約」によるアメリカの軍事的な後ろ盾で日本の平和が維持されてきたという事実がこの文書の公開で明らかになった。
この文書の公開は、「平和憲法や非核三原則を守っていれば平和を守ることができる。軍隊や自衛隊は要らない」と主張している人々(マスメディアの多くや、空想的平和論者等)にとってまさに衝撃的なニュースであっただろう。
・・・いや、以前からそんな事実には気づいていた?
ともあれ、このニュースの本質を隠すために、トンチンカンなコメントを出しているのかとも思えるのは穿った見方だろうか?
以下、Yahoo!ニュースより引用(元記事)------------------------------
佐藤首相「核報復」要請、65年訪米時の外交文書公開
12月22日3時1分配信 読売新聞
中国による初の核実験直後の1965年1月に、就任後初めて訪米した佐藤栄作首相が、ジョンソン政権のマクナマラ国防長官との会談で「(日本が核攻撃を受けた場合は)アメリカが直ちに核による報復を行うことを期待している」と述べ、洋上の米軍艦船からの核兵器による報復攻撃を具体的に求めていたことが、外務省が22日付で公開した外交文書で明らかになった。
ジョンソン大統領との首脳会談では、米国の「核の傘」を確認していたことも日本側文書で裏付けられた。
佐藤首相は、1月12、13両日にジョンソン大統領、13日にマクナマラ国防長官と会談した。会談記録によると、12日の大統領との会談で、首相は64年10月、中国が行った核実験を念頭に日本に対する「核の傘」の確証を求め、大統領から「私が保証する」との言質をとった。
これを受けたマクナマラ長官との会談で、首相は「(日本への)核兵器の持ち込みということになれば、安保条約で(事前協議の必要性が)規定されている」と前置きした上で、「戦争」になった場合、アメリカは直ちに核攻撃も含めた反撃を行うよう要請した。
さらに、首相は「洋上のもの(核搭載艦船)なら直ちに発動できるのではないか」と有事の際、領海内への核持ち込みを容認したとも受け取れる発言もしていた。長官も「洋上のものについては何ら技術的な問題はない」と応じた。
外交文書公開は21回目。今回は、45~76年までの約11万2000ページが公開された。一般公開は東京・麻布台の外交史料館で行われる。
最終更新:12月22日3時1分
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