屈託の無い笑顔とか一点の曇りの無い笑顔とかありますよね。その人と話しているだけで心が華やいでいくというのか安らいでいく自分がわかるような。会うのが楽しみ、会って会話に花を咲かせたい、その人の笑顔に触れたいと思う人がおられます。笑顔もいろいろあって笑っているんだけども鼻の先だけで笑っているとか、人を見透かしたような笑い、見下したような笑い、愛想笑い、せせら笑い、人を食ったような笑い、馬鹿にしたような笑い、目が笑っていないとか、腹のそこから笑っていない・・・・・それは顔の美しさとか年齢とか、男女ではなく大部分は本来その人が持っている笑いの形の様に思えて仕方ありません。家庭的なことや事業、会社のことで色んな悩み、苦労、葛藤を抱えながらも笑顔の美しい方っておられます。訓練や努力だけではなくその人の持っている天性の物が表現されているとも思われます。そしてプラス、生い立ちや現在のおかれた状況から来る影響もあるでしょうが、どちらが比重が高いのでしょうか。だから造り笑いなんてのはすぐ見破られてしまいますよね。自分の笑顔を出来るだけいい笑顔、美しい笑顔にしたければ相手に対して、相手を尊敬し、自分の心も開き一体化することのように思います。つまり喜びの共有化ではないでしょうか。難しいです。でも人に喜びを与える事ので来る笑顔は何とか、努力で出来るだけ近づきたいものです。そんな事で人を和ませたり、喜ばせたり、いい雰囲気をかもし出せる人を羨ましく思います。私みたいにひねくれ者はどうしても疑い深かったり本当にそうなのと心の中で疑問を投げかけてみたり、対抗意識があったり、直に人の懐に入りきれなかったりまだまだ訓練や精進が足りないと反省しきりです。死ぬまでそうなんでしょうか。いつかはそういう境地に至って見たいものです。
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