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東男と京女
私自身が風邪を引いて「目病み女に風邪引き男」という言葉を思い出してブログやSNAにアップしていたら、今度は「東男に京女」という言葉まで思い出してしまいました。 1770年、福内鬼外(ふくうちきがい)・平賀源内のことらしい。 その福内鬼外が書いた浄瑠璃「神霊矢口渡」の中に文献上で初めて下のような言葉が出てくるという。 「東男に都の女郎、いきと情けを一つに寄せて、 色で丸めた恋の山、傍で見るさへ憎らしい、 そりゃあんまり強過ぎる。 「武蔵野の月吉野の桜、景と風情を一つに寄せて、 雪で丸めた富士の山、噂聞くさへうらやまし、 そりゃ余り強過ぎる。 つまり、東男には京の女が一番似合ってる、相性がいいという事でしょうか。 東京つまり江戸の男たちのあっさり、粗野できっぱりとした性格とつましやかで、上品でしっぽりとした京都つまり都の女性たちの相性を唱えたのでしょう。 人に言わせると一方で、 政治の中心であった江戸、寄り合い所帯のような、何かと気忙しい江戸の人々が、文化や歴史の中心であった京の都、落ち着き払った風情を醸し出す都にに対する憧れや想いがそんな言葉に反映しているのではないかと想像している人もいる。 いずれにしても戦後復興からの一時は猫も杓子も東京へ東京へとなびいた物です。 まさしく一極集中。 福岡でも「博ちょん族」と呼ばれる東京の大企業の独身の転勤族が博多の中洲を中心にもてはやされ、マスコミにも度々登場したものです。 正調博多節にも 「博多帯締め 筑前絞り 歩む姿が 柳腰 博多へ来る時ゃ 一人で来たが 帰りゃ人形と 二人連れ」 と歌われてみたり。 東京は政治、経済、今や文化の中心。 でも、もうそろそろ東京だけではない時代が来ないと。 福岡だって、今注目を浴びる時代が巡って来たようにも思える。 その内、 福男に札女 なんて言われる時代も来るかも。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.09.13 21:18:53
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