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垣間見る大人の世界、これでいいの?
何でも見えていいのでしょうか。 大人は見なくていいもの、見てはいけないもの、見なければいけないものの判断をする能力を持ち合わせています。全てではありませんが。 大人の社会の汚さや辛辣さ、快楽の世界の存在や或いは逃避の方法までも容易に知ることの出来る社会になってしまいました。 今の子供たちは未成熟な心や体を抱えながら、只の興味一筋に、自然な形で無理なく受け入れる、そんな時代になりました。 極端に言えば自殺の方法だって、大人や大人の社会が教えてくれます。自分で出来なければ他人が教えてくれる時代です。 いじめの方法だって、小さい頃からこんな言葉を吐けば人が嫌がる、追い込む事が出来る、差別できる事をいながらにして学ぶ社会になりました。 昔は大人と子供の世界は切り離されていて、踏み越えるにはそれなりの社会的な規範が存在していたはずです。 必要にして少しづつ少しづつ、子供らに教えていったものです。 今は情報過多、もう少し言えば情報の洪水の中で溺れさせている現実を大人の我々がわかっていなければなりません。 金魚ではありませんが吸収力に勝る子供たちは与えられた全てを興味本位に全て、ひとかけらも残すことなく、昇華することなく飲み込んでしまいます。 結果は語る必要は無いでしょう、今の社会現象を見れば。 情報デバイド、大人の知らねばならない情報と子供に知らせなくてもいい情報、それは毅然として存在しなければいけません。 今の世の中、完全に権力化してしまったマスコミ、そのあり方も国民的に議論が出てくる日が近いと信じます。 子供たちが背伸びをしてかすかに見える程度の社会や大人の世界の存在であってよかったのですが、当の大人が好んで見せてきた醜い社会や」人間関係、快楽の社会への誘惑はあらゆる歪を起こしてきたように思います。 世の中、知らなくてもいいこと、関わらなくてもいいことが存在する事も知らなくてはいけません。 全てに関係しないと時代に取り残されるような、人間関係さえも醸成できないような、一種の脅迫を感じる社会が到来したような気がしますがどう思われますか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.10.29 19:42:33
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