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悲しい顔の生徒が、感激の涙
教育問題がこれほど語られる時代は多分過去にも無かったのではないでしょうか。 重要な問題でありながら、親と教師が面と向かって話をすることもほとんどありません。 教育の全ては学校の問題だと誤解をしている親、 教育の荒廃は全て政治や社会の責任だと思っている親、 何かあると教育委員会へ走る、或いは口に出す親、 先生というのは教科を教えるだけと大変な勘違いをしている先生、 学校の外の行動や生活は知らぬ存ぜぬの先生、 先生同士でいじめに一生懸命な職員室、 人生の良き師と仰ぐ先生の少なさ、 先生は友達と思っている子供たち、 先生は敵対する存在と勘違いしている子供、 受験対策でしかなくなった勉強、 本来学校は神聖で、師弟が夫々尊敬、崇敬の心や眼差しで触れ合ったところでした。 ところが今や、不信とねたみ、辛みの場と化したのでしょうか。 我々が標榜した学び舎は何処へ飛んで行ったのでしょうか。 今こそ、親と教師、地域が一体となって 「子供のための学校現場」作りに邁進して欲しいものです。 純粋な気持ちで学んでいる多くの子供たちに禍根を残さないように。 子供たちが学校に行けば、数多くの感激の場面や胸打ち振るうような感動がそこかしこに存在するような学校であって欲しいものです。 そして一旦緩急あったときは、 諸手を広げて先生の胸に飛び込んでいけるような、 先生とともに涙を流し合えるような、 夜を徹してでも親や生徒と歓談が出来るような、 そんな学校であって欲しいものです。 こんな話を拾ってきました。 「悲しい顔をして生徒さんが、先生のところにやって来ました。 用具室の鍵が見当たらず、細い竹の棒を鍵穴に入れて開けようとしたら、 中で折れてしまったというのです。 でも先生は言いました。「なんとか早く開けようと必死だったんだね。 ありがとう」。生徒さんの目から、思わず涙がこぼれました。 相手の立場に立つことが教育の原点です。」 小さくても、心のふれあいの積み重ねによって 子供の心は大きく膨らんでいきます。 大きく大きく、家族をも巻き込んで膨らんでいきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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