|
カテゴリ:カテゴリ未分類
愛の犠牲
人間、裏切られても裏切られても信じ続ける、愛し続けることの出来る人、 或いは私のようにその後の付き合いに適当な距離を置く人間、 または裏切られた途端に愛することを止めてしまう、 裏切られたと知るや、仕返しをする人間・・・ 有り様は人様々ですが、心も体も、お金も時間も全てを貢ぎ、捧げ、犠牲になっているにも関わらず、それでも愛し続ける人っていませんか。 傍で見ていると滑稽なぐらいに。本人は死に物狂いなのですが。 でも色んな形を見ていると、どんなに犠牲を払ってもその全てが報われるわけではありませんよね。逆に報われることなんか眼中にはないのかもしれませんが。 無償の愛って言葉もありますしね。 若い頃の恋愛であれば盲目的であったり、足元も見えなかったり、自分の全てを犠牲にして捧げる愛や恋なんて存在するのかもしれません。それはそれで貴重な経験ではありますが。 相手にも拠りますが、そんな事を承知で愛を捧げさせる人間もいる事も事実です。 人につけこむ事の上手な、人の心を留め置く事に素晴らしい才能を持った人間も多く存在します。 人の行為に甘えることが上手な人、人を騙す事に一かけらの罪悪感も感じない人。 時には一歩引いて静かに考えてみる癖、或いは自分の保身も含めて冷静に相手の事を思い巡らすことも必要かもしれません。 子供の事でも最もいけないのは「溺愛」ですよね。それがどんなに多くの災いの原因や悲劇を巻き起こしているかは日常的な状況や現象が指し示しています。 「過ぎたるは、及ばざるが如し」とはこんな事ではないでしょうか。 「どんなにその人を愛していても、 その人のためにすべてを犠牲にしてはならない。 なぜなら、必ず後で、その人を憎むようになるからだ。曽野綾子」 友人知人との付き合いもギブ アンド テイク、 そういう心のキャッチボール、行き交う心のあり方こそ長続きする終生の関係を保つ秘訣なのではないでしょうか。 犠牲の全てを否定するものではありません、 時に、一旦緩急あれば命さえも捧げる犠牲があることも大事な事とは承知してい お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.11.23 20:40:55
コメント(0) | コメントを書く |