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人の命は儚くて
人はいつ命果てるとも知れないとはこの事です。 人間の叡智や常識からからすれば、別れるとき、遠くへ旅立つ時は「さよなら」とか「お世話になったね」位の言葉のやりとりは欲しいものです。 今日も先輩の告別式に行ってきました。 毎月2度ほどはお会いして、杯を酌み交わすほどです。 お人柄も素晴らしく大手銀行で務めておられましたのでそれなりに人格、識見共に尊敬を申し上げておりました。 しかも柔和なお方でしたので、周りからの信頼も厚く多くの方々からも慕われていました。 今日も告別式のお別れの言葉にしても、やはり充分にお人柄が感じられる弔辞が多かったものです。 特にお孫さんのお言葉にはつい、貰い泣きをしてしまいました。 ついこの間、2月2日には一緒にお酒を頂いたところです。 全く今日の状況を想像すら出来ない、お元気なご様子だったのです。 昨年の秋すぎに一時的に入院はされていたようですが。 復帰されましたので当然、充分の快気されたものと思っていたのです。 この前のお正月にも先輩がお一人急に亡くなってしまいました。 どうしたことでしょうか。 唐突に人間としての関わりが途切れることは悲しいことでもあり、呆然としてしまいます。 謂わば私自身もそのような年齢の域に到達したと言うことでしょう。 いつ、人の命は尽きるのか、分からないからいいと言う事もあります。 しかも、「さよなら」とか「お世話になったね」などという事も無く、自然の成り行きのままでこの世を去っていくことの方がお互いに良いのかも知れませんね。 もしもそういうことだとしたら、罪作りな事にもなってしまいますし、尽きない未練、離れがたい思いの中で非上に険しい厳しい状況も生まれるような気がします。 いずれにしても、この世に未練なく、成仏を願いたいものです。 合掌!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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