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心の開き度合い? 心がどのくらい開いているとか、物ではありませんから計ることはできません。 「胸襟を開きなさい」「心を開きなさい」などと言われてもどのくらい開くのが適当で、どのくらい開かないのがいけないなどの判断など誰にも出来るものではありません。 私自身もなかなか心を開かない人間でした。 どちらかというと閉ざした人間だったといった方が正確でしょう。 ところが、人はこちらが開いた程度しか心を開いてくれない事が分かってきました。 中にはおられますよ、あっけらかんで誰彼構わずオープンな人。 言い換えれば、所構わずといった方がいいかも。 でも、彼は私に心を開いたのではなく自分のキャラクターとしてそうなっているのであって私を理解してくれているのでもなく、受け入れてくれているのでもありません。 心を開くといっても、全てをオープンになんて通常の人には出来ません。 また、すべきではありませんよね。 余程心を赦した人でない限り。 何処かに壁がありますし、言っていいこと、言ってはいけないこと、相手に分かって貰っては困る事も存在するものです。 また、恋人ならまだしも、相手の全てを知りたいわけでもありません。 知ってしまうと、人間としての本当の付き合いは難しくなるかもしれませんね。 たとえ夫婦でもそうですよね。 何でもかんでも分かっていればいい、見え過ぎるほどに見えていればいいというものでもないでしょう。 隠し事がいいということではなく、人間の尊厳を保つためにはそんな部分が必ず存在すると思うのです。 だからこそ、夫婦が40年も50年も続くのです。 見えない可能性や、何処かに秘めた逞しさや、そこはかとない人間性が大事だと思うのです。 自分の心の開き度合い。 ここまでならと決めるのも難しいものです。 「自分が心地よい程度の度合い」とでも言いましょうか。 相手にも、自分にも。 そうすると不思議なもので、ここまでならと思っていた度合いが少しづつ少しづつ広がっていくのが分かります。 所謂、心地よい度合いが広がっていくという事です。 最初から抵抗なく、出来る方は問題はないのでしょうが、他人に心を開く事が下手な人間、いつもじれんまに苛まれている私のような人間、劣等に包まれているような私には時間と勇気を要する事であります。 ですから、少しづつ少しづつ。 自分の心が開く事が自分にも感じ取れて、しかも心地よさが実感できる程度で良さそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.08.17 21:40:24
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