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misty247

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2007.05.26
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カテゴリ:古今東西のお語
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 4月13日、いよいよエヴェレストをめざしてクーンブ氷河へと入った。
 エヴェレスト峰と向かいのヌプツェ峰に挟まれた氷河がウェスタン・クームで、ローツェ峰に突き当たる奥地まで続いている。入り口からいきなり難所アイスフォールが始まる。アイスフォールは700mの落差を持つ氷河の斜瀑である。巨大な氷塊(セラック)にへばりつきながら進む立て続けの悪場では、氷の上に突然裂け目(クレヴァス)が出来たり何百トンという氷の塊が崩れ落ちてきたりと、予測と回避が困難な危険に晒され続けるので肉体的にも精神的にも負担が大きい。

エヴェレストmap


 ヒラリー、ロウ、バンド、ウェストマコットの4人が、アイスフォールにルートを拓く役に当たった。氷河を挟む両側の壁の崩れに巻き込まれる危険を避けるには、谷の中央を往かねばならなかった。しかし、中央ほどセラックは複雑に折り重なりルートの開拓は困難を極めた。また中央ほど、不意に動く氷河から崩落やクレヴァスの襲撃を受ける可能性が高かった。さらに厄介なのは、後続の為にロープを張り丸太橋を架けルートを示す旗を残していくのだが、数日すると氷河はどこかが動いてルートを寸断し、苦労を台無しにしてしまうことであった。それでも彼らは悪天の四日にもめげず、アイスフォール中間の棚に着き第2キャンプを設けた。
 アイスフォールを越えたところに第3キャンプを設けると、ウェスタン・クームまで荷揚げをさせる準備が整った。39人のシェルパが4班に分かれキャンプ間をリレーして18kgの荷物90個を運んだ。荷がウェスタン・クームに上がると、クレヴァスに渡した金属製梯子を回収し、麓の森林地帯から運び込んだ丸太の橋に架け替えた。丸太の調達はワイリーが担当した。一夜の新雪がルートを隠すなどキャンプ間の往復も楽ではなかった。

 梯子を3連結して大きなクレヴァスを渡りウェスタン・クームに立った先陣隊は、そこからローツェ氷壁を仰ぎ見て、いよいよ頂が近づいたという実感を得た。第4キャンプをウェスタン・クームに設けると、さらに先をハント隊長、エヴァンズ、ボーディロンが、氷河の端から端を行き来して最も安全な道を見つけ出しながら進めて、ローツェの氷壁直下に第5キャンプを設けた。この前進基地からエヴェレストとローツェの鞍部にあたるサウス・コルを目指すのである。
 後方からの荷揚げは捗っていたが、迫るモンスーン期を考えると日に余裕はなかった。
 
 昨年のスイス隊がとったサウス・コル真下の「ジュネーブ尾根」は狭く険しくテントを張る場がない。そこで隊はローツェの氷壁を登り詰めることにした。エヴァンズ、ウォード、ボーディロン、ワイリーがローツェの氷壁に乗り込んだが、氷壁は外観に違わず難物で、天候の悪化と酸素補給器の故障など数々のトラブルに見舞われ、隊は進退谷まり、酸素を切らしたウォードとワイリーは第5キャンプへの撤退を余儀なくされた。
 エヴァンズとボーディロンはスイス隊が残したキャンプで一晩の休息をとると、翌日強行軍を続けたが、豪雪にあって視界を失い退却を強いられた。

 5月6日、第1キャンプに隊員が集まり登頂アタックの作戦が練られた。ローツェの氷壁を突破すればサウス・コルに頂上往復を挑む出発点となるキャンプを設ける予定である。頂上アタックは2名1組で行い、失敗に備えて2班を準備しておく。第2隊は第1隊の翌日に挑む。第1隊はボーディロンとエヴァンズ、第2隊はヒラリーとテンジンが選ばれた。
 酸素補給器は二つの方式を使っていた。一つは閉鎖式と呼んでいて、これは吐いた空気をまたタンクへ送り戻すことで酸素の再利用を図るものである。酸素はその分薄くなるが、軽量な装置で長時間持つという利点がある。もう一つは開放式で、吐いた空気は外へ出してしまうものである。こちらの利点は閉鎖式の逆で、酸素の摂取効果は高いが持ちが悪くなる。二つの方式は両方をこれまで使いこんできたが、明確な優劣をつけられるものではなかった。よって第1隊に閉鎖式を、第二隊に開放式を使わせることにした。ただし開放式はサウス・コル往復分も酸素が持たないので、サウス・コルと頂上の間にもう一箇所キャンプを設け、アタックに二日をかける計画にした。最後の第9キャンプを出来るだけ高くに設ければそれだけ成功の率が高くなるのである。第9キャンプの設置はグレゴリーが手伝うこととなった。以上が計画のあらましであった。
 まずはローツェの氷壁を越し、サウス・コルへ2隊の頂上アタックに必要な物資を上げることである。天候は悪く新雪が踏み跡を消す日が続いていたが、遅くとも5月15日には頂上アタックに挑める準備が求められた。
 ローツェの氷壁を登りきるとジュネーブ尾根を越してサウス・コルに達するが、そこでは猛烈な風が吹き荒れていた。頂上の90m下が南峰(サウス・ピーク)である。その先に世界最高峰の頂上。未知の困難が待ち受けていた。
 しかし隊は、悪天と風に悩まされローツェの氷壁で一進一退を繰り返し、計画の15日を過ぎても、5月20日を過ぎても、まだサウス・コルを踏めずにいた。

 5月21日、第4キャンプからハント隊長は、サウス・コルに向かう二つの黒い点を双眼鏡で追い続けていた。二つの点は第7キャンプを発ったノイスとシェルパである。着々と前進する点に隊長は胸を躍らせた。青の防風服が時々きらりと光るその点はやがて空の青へと溶け込んだ。ついにサウス・コルへと達したのである。12日間気を揉んでいたサウス・コルへ!
 ノイスが拓いた第8キャンプへの荷揚げが開始された。ヒラリーとテンジンが17名を連れて標高差1500mを往復するという猛烈な働きを見せ、頂上アタックの準備は整えられた。 <後編へつづく>

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Last updated  2007.05.29 15:04:00
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