2013/08/09(金)12:54
映画『少年H』
試写会で『少年H』を観てきた。
舞台は神戸。開戦と終戦が含まれる昭和16年ぐらいからの5年間ほどの物語。小学校から中学校へと進む少年Hこと、はじめ君と家族が、激動の時代を乗り越えていく自伝的物語。
まず、俳優さんがよかった。
いろんな出来事と、その経験を通して、人生の足場を組んでいくはじめ君は、その5年を通して同じ一人の子役なのだが、内面的成長に応じて面構えが大人びていくように見えた。それが演技と演出によるものなのか、あるいはこちらの思い込みがそう見させたのか区別はつかないけれど、そんなことはどっちでもいい。
お父さん役の水谷豊も素晴らしかった。少し前の座敷わらしの映画をみても思ったことだけど、この人はいつも生活感なく実在感なく、どこかしけた紙マッチのような鈍さの象徴のような感じがあったけど、この作品では、そういうベースの個性に練熟の域と思われる渋みを上乗せして、和製ダスティンホフマンと言ってもいいような味を出していた気がする。
中心になる父と息子。そのどちらも素晴らしいから、終始スクリーンに惹きつけられた。
舞台セットもよかった。
どこまでが舞台で、どこからがCGなのか区別はつかないけれど、そんなことはどっちでもいい。
広い空間を映しても、看板や電柱の標語、隅々までその時代で埋められている。この路線には『三丁目の夕日』という先達がいるけど、作り手のどや顔がスクリーンの裏に透けてみえない感じがして、私はこっちの方がずっと好みだ。
もちろん、話の中身もよかった。
自伝だから、出来事のあれこれは断片的で、ときに話しは繋がりなく進んでいく。それでも、次の展開へ力強く惹きこまれていく。作品として、ちゃんと一本通っていることの力。その力の素は、さらに突き詰めれば何だろうか?
まっすぐではない世の中。まっすぐではやっていけない世の中。しっかりと立つ大地のどこにもない浮遊感。終戦を境に一変する周りの人を、漂うワケメのようだと怒り、枕木にぶらさがってもがく。はじめ君の心情は、映像とセリフのあちこちから多重に語られて、観る者を同じ心境へと誘う。
実際にあったこと。そして、伝えたいことがある。
それだけではないけれど、これら基本の力ではないかと思う。
全編にわたって丁寧に綴られている。押しつけではなく感じとってくださいという程度の気持ちで。
邦画で人にすすめたい一本に、これは入った。