misty247

2014/02/20(木)01:48

『日本の恋歌』竹西寛子著 (岩波新書)

読んだ本のこと(5)

 百人一首のなかで最ももはげしい恋歌はどれか、という問いを以前に綴った。  そのひとつの答えが書かれてある書をみつけた。それが題にある本、『日本の恋歌』竹西寛子著 (岩波新書)である。  問いの答えを探していたわけではない。この本に出会ったのも、たまたまである。書物との出会いにおいては、なかば奇遇と思われる巡りあいに驚かされることが稀にある。実際は奇遇というほどのものではなく、関心事のアンテナを立てているから、普通なら見過ごしてしまうところを一段掘り下げて気づくべきことに気づいた、というのが正しいのだろう。  でも、こういうことは、あって嬉しい。  さて、その答えとは。答えと言っては語弊があるか。  この本『日本の恋歌』は、百人一首という狭い範囲ではなく、記紀万葉にはじまり与謝野晶子・水町京子まで、ずっと広い範囲から、著者の惹かれた恋歌を選びだしたものである。  選ばれた歌は三十首。そのなかにあったのだ。  「忘れじの行く末までは難ければけふを限りの命ともなが」  他に百人一首にみる歌はなかったから、この歌が百人一首のなかでもっとも惹かれる恋歌だという点で、本と私は一致したと言ってよかろう。(おそろしくて、こんなこと言う気にならないが、言わないと話が進まないので。)  歌は一致したが、鑑賞眼はもちろん月とすっぽんほど違う。  私がごく表面的に言葉どおりになぞって、ピュアの一言ですませたのに対し、この本にはこの上なく上質な解釈が付されていた。その解釈をここに載せておく。あなた様が、いつまでも忘れないと仰って下さるお言葉は決して一時のそらごとではなく、本当にそう思って下さってのこととお受けしております。でも、人の情はうつろい易いもの、いえ、それがむしろ人の自然でございましょう。何事かをお疑い申しているのではございません。固い今日のお約束も、いつまでもとは頼み難いのが人の世の常。それゆえ、今日の逢瀬を最後の思い出にいっそ死んでしまいたい、それほど満たされている今日の私でございます。 幸せの絶頂で命を断つことは、将来の不幸を念頭に置いている。恋の裏切りではないが、事実、詠み手の晩年は幸薄くなる。それを予感しての自暴自棄ではないこと。また感情にのまれた刹那的な叫びでもないこと。それら前後の詳しい説明とあわせて読めば、この歌の魅力が、行く末まで忘れ難いものになるのは確かである。

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