misty247

2014/02/23(日)22:52

那須英彰さんの講演会

手話(3)

 NHKニュースキャスター那須英彰さんの講演会を聴きにいってきた。  と、つい「講演会を聴きに」とはずみで書いてしまった。「聴きに」は違う。那須さんは手話ニュースのキャスターさんで、ろう者だから、手で語る講演会なのである。ならば「見にいってきた」とするところか。でも「見る」というのはまた違う気がする。  手話言語条例が各地で注目されている昨今だから、「読み取りにいってきた」といえば手話にふさわしい。しかし私の手話の読み取り能力は貧弱で、とてもじゃないが「読み取れた」とは言えない。困った。表現しようがない。  いやまてよ、そこに動詞を入れず「講演会にいってきた」とだけ言えばよいのかと、今気づいた。  ということで、那須さんの講演会へいった。  手話ニュースは、勉強のために録画したものをときどき見ている。(ここはもう「見ている」でいい ^^;)  那須さんは演劇をされていることもあって、数いるキャスターさんのなかでも、手話がアグレッシブな感じがする。アグレッシブを具体的に言えば、緩急の差が際立ち、表情に熱があり、使う空間が自在といったふう。音楽でいえば「ダイナミックレンジが広い」というのがぴったりか。  ニュースをみていてときどき思うのは、音声と手話それぞれ、当たり前ではあるけど伝達に要する時間に差があるということ。ぴったりであることが多いだけに、どちらかが伸びたときに気になる。 伝えなければならないことがたくさんあると、那須さんは相応にスピードがあがって、速い手話になるのだが、それでも音声がなくなってからも手話を続けるケースのよくみられるキャスターさんではないかと思う。伝えるために、省けないことは省けないのだ、という熱意がありありと感じられる。  芸術的な手話もあるという。最後に付けしで披露されたパントマイムと手話が融合したかのような表現は印象的だった。手話を言語と認める動きには感謝しているけど、本当はろう者にとっては手話が言語なのは当然のことで、言語どころかもっと大きな可能性をもった表現手法なんですよと、講演全体をふりかえってみれば、伝えたいことの核心はそのあたりにあったのかもという気がする。  いいニュースにはニコっとし、わるいニュースには困った顔をする。最初はそういうことをする手話に幼稚なイメージをもっていた。しかし、人に対する好感度は、いちいちのことに相応の表情を添えることで決まるのだと、好感あふれる那須さんをみて反省せざるをえない。人生で必要なこと全てを幼稚園で学び損ねた人間の、反省である。この歳で改善は難しいが、努力しよう。

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