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いかん今日のメルマガ「トレイシー・チップマン」って
表記しているような。 正確には「チャップマン」の方がいいのかな?でもデビュー 当時は「チップマン」っていう表記が多かったような気が しないでもない。 トレイシーのデビューの時はよくフィービー・スノウに比較 されたのだけど、確かに似てなくもない。両者ともグラミー の新人賞取っているし、そもそもこういうスタイルの音楽は グラミーの投票権持ってるインテリ受けしやすいのだろう。 でも作品出す度にトレイシーは間口が広くなっていったという 印象が私には強い。デビュー当時のデビッド・ガーンシュバーム のプロデュースは今考えると少し行儀良すぎたって所なのだろうけど、 当時の音楽シーンを考えると大正解だった。フォーク系のアーティスト なんて皆無だったし、リビング・カラーがかなり話題を集めたという 時代だからねえ。(トレイシーはリビング・カラーのヴァーノン・リード と同じ黒人の音楽団体に所属していた事がある。) トレイシーのデビューのきっかけは彼女の同じ大学の学生が、自分の 父親に「こんなアーティストがいる」と紹介し、気に入ったその 人物がエレクトラレコードを紹介したという話があるのだけど この父親とはCharies Koppelmanという人で、当時は音楽出版社の 社長。その後彼の会社はEMIグループに買われ、EMI傘下でSBKレコード という会社も設立し、ヴァニラ・アイスで大当たり、'91年には EMI北米の最高責任者に就任しています。 このコペルマンという人、'60年に「Yogi」という冗談ソングをヒット させたアイビー・スリーのメンバーだったという人なのが面白い。 同じメンバーのDon Rubinも彼の事業の長年のパートナーでした。 この「Yogi」という曲。聴いたことありますけど、かなり変な曲で (だって『ヘイ・ポーポー』とか言ってるんだよ)一度聞いたら 忘れられないような曲だけど、こんな真性の一発屋がそのまま 業界に残って成功するのだからあの国は奥深い国だ。 それはともかく、「Baby Can I Hold You」という曲、私も少し 痛い曲でした。しかしこんな曲デビュー盤に入っているのだから やっぱり凄い才能ある人だ。 そういえばトレイシーがデビューしてまもなくの時期に、ネルソン・マンデラ が釈放されてその歓迎コンサートが行われた時、彼女も参加して いたのですけど、同じく参加していたピーター・ガブリエルの 「Don't Give Up」のケイト・ブッシュのパートを歌うという シーンがあったのですけど、彼女の声のキーでは全然合わなくて 照れくさそうに歌っていたのを思い出した。しかしあの時 他にあのパートを歌う人はいなかったのだろうか?(ちなみ にこのコンサートのトリはシンプル・マインズだった。そんな 時代もあったんだねえ。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年03月22日 00時55分50秒
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