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カテゴリ:言葉の問題。
*「先ず隗より始めよ。」という言葉を、私たちは普通「何かやるには先ず直近の身近なことから手をつけろ」とか「他人に何かを指図するなら先ず自分が範を示せ」とかいう意味に使っていて、勿論それも間違いではないのですが、原典を紐解くと、これは隗という人物が自分をちゃっかりと帝王に売り込んだ言葉でもあったことが今更ながらはっきりするのですね。
「だからどうした?」と言われても、別段どうということもないのだけれど、賢い(狡賢い?)人間というのは何たらかんたら尤もらしいことをまくし立てながらも、しっかりと自分を売り込むことは忘れないのだなと思ったりしてしまう今日この頃であります、なんちゃって♪ *↓南海「住吉大社」駅にあったこの表示ですが、意味は通じるからいいようなものの、何か日本語として違和感がありました。w *↓今や亀田三兄弟の人気は全国区。彼らが大阪西成区の出身だということは知っていましたが天下茶屋が本拠地とは知りませんでした。写真は天下茶屋商店街で見つけた横断幕で「天下茶屋から世界へはばたけ」と書かれています。 天下茶屋と言えば釜ヶ崎として知られる萩之茶屋の隣りに位置していて、それだけのことで関西では未だに謂れ無き偏見を抱く人も多いようです。無論これは萩之茶屋なら差別して構わないという意味ではありません。また釜ヶ崎という呼称は公的には現在使用不可ということで「愛隣地区」などと呼ばれたりもしているのですが、現地の支援者たちから言わせるとそれこそ差別そのものという指摘がされており、NPOも医療連絡会議も敢て釜ヶ崎という古来の歴史的呼称を使っています。言葉の問題はデリケートですね。 在日コリアンや所謂「被差別部落出身者」に対する「差別と偏見」というと、取り分け関西が激しいように余所者たる私は感じてしまいますが、これも偏見の一種でしょうか? *ちなみに「先ず隗より始めよ」はこちらの方が詳しいです。w お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年05月29日 10時01分43秒
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