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カテゴリ:世界のこと、宇宙のこと。
*したらば元社長日記の07/05/29に『ナチスが発明したものの一覧』という日記があって、これは『ナチスの発明』(武田 知弘著 彩図社 2006/12)という本の書評という形をとっているが、古来我々は「戦争」の度ごとに科学技術を著しく発展させて来たーーつまり我々は押並べて「敵=他の組織に属する人間」を殺傷し、屈服させるためにこそ国家・組織の全身全霊を傾け科学の進化・発展に励んで来たーーという歴史を持っていることを考えれば、ナチスのみが例外である筈もなく、何ら珍しいことではない。 「アウトバーン」(ドイツの高速道路網)はみんな知っているだろうが(←これもしかしナチスが始めたものではないらしい)、他にもコンサート技術、オリンピック聖火リレー、ジェット機、テレビ放送、公衆テレビ電話、ラジオの普及・・・とナチス時代の発明が多々出て来るが、筆者も言っているように(いや「ナチス研究」でもしようと言う人なら別だが!)これらは「雑学」の知識としての意味以上のものは私には感じられなかった。 ただこの記事に寄せられた多くの人のコメントにはいろいろ示唆的なことが述べられていて、こっちの方はなかなか興味深かった。w 政治の延長が戦争である。 我々の祖先は、話し合いで決着が付かないとなると、そばにある棒切れを拾って隣人を引っ叩いたのである。いや、もっと正確に言うと、人類が初めて手にした道具は「武器」なのであって、最初は槍や棍棒で殴り合って利権を争っていた我々の祖先であるが、それでは互いにロスが大き過ぎることを知って、徐々に「話し合いに拠る決着」へと宗旨変えしていったわけである。これが「人類の理知」である。大したことないって?ぁそ そうであるからこそ「話し合い決着」が不可能ということになると「また再びの道=武力に拠る決着」へと容易に舞い戻り得るのである。 なにせ我々の古い脳(中脳)は基本的にはワニと変わらないそうだからね。w 埴谷雄高は「奴は敵だ。敵は殺せ」というのが政治の究極の論理だと指摘している。 我々は明るく美しい歴史だけ持っているわけではないのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年06月21日 09時40分36秒
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