IT系しゃべり人による素人民俗学的寺社仏閣のしるし

2007/06/06(水)12:38

出流山満願寺はいずこ?

寺社紀行(16)

出流山満願寺は、アクセスもよく東北自動車道・栃木I.C.で降り、看板の「←出流」に従って県道を進めば約20分程度で着く。 つきあたりを左折し、川を越えた一つ目の信号を右折して、あとは道なり&看板に従って行き、道中石灰工場らしき道を通り抜けると、 そば屋の集落を抜けてゴールイン。 ここのそば屋の混雑にはまいった。 時間帯もちょうどお昼だったせいで、マイクロバスや県外ナンバーが狭い道を切り返せなくて立ち往生している姿に遭遇。 あ~あ(*_*)さすが年配の老夫婦。道路をふさいでも全然動じないや。 強引に車を切り返していて少々遺憾な思いで横切って入山。 ここでも駐車の仕方に少々疑問を感じながら停車。 なんで、自分の車が止められればいいやって感じで、もう少しどちらかに寄せればもう一台、車が入りそうなものなんだけど…。 最近は、どこでもモラルの欠如が身近に感じる。 会社が問題を起こしてもうなずけるかもしれない。 本堂の右手奥が奥之院への入口 木々が生い茂げ、ときおり落石があるので要注意の看板が… 参道を上り本堂まで行き、右手奥が、奥之院に至る参道の入口となっている。 飲み物をなどを持参しなかったことが誤算になるとはこの時は予想もしていなかった。 ヒールで場違いな参拝客がいたが、足元も悪いので運動靴をすすめる。きつい山道が容赦なく向かってくる。 歩けど歩けど…。 しばらくすると幼児が両親と共に元気に駆け足で下ってくるのをみて面食らった。 元気すぎるし、しかもこんな小さな子供が走りながら本堂へ戻ろうとしているのだ。圧巻!!! 気を取り直して休息所まで黙々と足を運ぶ。はぁ~運動不足を実感♪ 途中には山が崩れた跡が生々しく残っており、聖天堂へ至る石段はロープが張ってあって通行止。 大悲の滝 奥之院拝殿を見上げる。 失礼ながら、栃木再発見というべきか、改めて歴史の古さを実感。 約15分くらい行くと、やっと休息所の屋に着く。 休息所→小屋→茶店というイメージだが、実際は修験者が着替えたりする場所のようにも思えたが、実際のところは鍵がかかっており不明。 その小屋すぐそばに「大悲の滝」があり、修験者はここで21日間滝に打たれ、日光山へ備える。想像しただけでも厳しさが伝わってくる。 今ならば車で麓まで行き、すぐに参拝できる時代に感謝。 滝の入り口を見ると、現在でも修行僧がここで滝に打たれる修行が継続されているようだ。 見上げると絶壁の上に奥之院拝殿がそびえ、圧倒されながらもよく建立したものだと逆に感激する。最初に鍾乳石を発見したときの感無量さが目に浮かぶようだ。 石段の数は99段?息を切らしながら急な石段を一気に登ったはいいけど…全身汗でシャツがびっしょりになり冷たい冷気がかなり涼しく心地よい。 小屋が小さく見える。かなりの高低差があるのをおわかり頂けることであろう。 目の前には、山の稜線のみで視界は広くはないが修験道場には景観必要ないと思われる。 朱塗りの拝殿には子授け・子育てに御利益があるという十一面観世音菩薩像がある。 造りは古く、何度も補強の後が見られ、傷みも相当で、柱?の一部がおれている。 縁起によれば、天平時代にこの下野の国司であった若田氏高は、妻・明寿が子宝に恵まれなかったことを嘆いて、この十一面観世音菩薩像に祈ったところ、 男子を授かったことから、そのいわれがある。 なお、この男子は後の勝道上人その人であり、この出流山を開山する人となったとのことである。 菩薩像の横には、上人の像も祀られている。この菩薩顔が3面になっている。罰当たりかもしれないが、失礼してフラッシュを閃光させ撮影。 暗い洞窟 →スイッチ!押してね♪がなんとも粋な気遣い。これがなければそこで鍾乳石を見ずに終わってしまうかも。 → 幻想的な雰囲気を出してのご登場。 奥之院は洞窟になっており、電気をつけると中が見られるようになっている。 奥行きはそれほどない…鉄格子が見える。その奥には! 鍾乳石…延びるのに時間がかかるんだ 解説図 十一面観世音菩薩 後姿祀られているのは、この十一面観世音菩薩の後姿という鍾乳石である。 鍾乳石は100年に1cm程度しか延びないってそこの看板に解説がある。ここまでの長さになるには5万年必要。 栃木県の天然記念物となっている。 奥の院を見てしばらくここで足休め。下を見ると改まって高い所でよく見つけたな!って再認識する。 帰りは下りなので行きよりも軽快に戻ってこれた。これで300円の拝観料は、どこぞの滝よかましかもね。 ものすごく古刹を感じた時間を過ごすことができました。

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