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ブログを開いて一週間になったので、友人にお知らせした。何人かは訪問してくれたし、メールで近況を教えてくれたりした。元気で何より(^^)
その中にイギリス留学で知り合った人もいた。 2002年、秋。私は旦那様と職業がありながらロンドンに留学した。塾には断られたら辞表を出す覚悟で長期休暇をいただいた。旦那様はそんな身勝手な妻の要望にも文句ひとつ言うことなく、全面的に理解してくれ、全力で協力してくれた。色々な犠牲の下で、叶った夢だった。 30歳をいくらか回ってもう一度学生になれたことは単純に楽しかった。 同年代の働く女性たちで、数週間単位の休暇を利用して学位習得のためやスキルアップのために大学に通う彼女たちに出会えただけで得るものは大きかった。 反面、曲がりなりにも築いてきた社会的地位はおろか、今まで当然のものとして享受してきた社会とのつながりを一切断ち、温かい家庭の温もりを完全に手離して我が身ひとつになる、ということは恐怖にも似ていた。 疑うことなく身に染み付いている常識や、知らず知らずのうちに驕りの元で育てた確信は全くもろく、普遍の免罪符ではないのだと教えられたことは、そういうものに守られて安穏と昨日と今日と同一の日々の上に胡坐をかいていた私には良薬であった。 英会話に不安を感じていなかったことが、旅を容易なものに誤解させ、すべての困難と勉強の始まりだった。 英語圏では英語を話せて当たり前。「それ以上の何を持っているんですか?」と問われているような日々。日本語が英語に代わったというだけで、求められているのはどこにいても同じ。対人折衝能力、自己表現力。外国人だからなおさらに、人間力というか、個人力が要求されていた。 それに気付いてからはevery minute & every second(毎分毎秒)英語で考え英語で表現しつつ、自分の責任の下で、しっかり気を確かに持って生き延びねば(゚-゚;)!と心に誓うような思いだった。事故に遭ったり怪我をしたり風邪をひいたりしないよう、一歩一歩、一足一足、一行動に細心の注意を払い、この身ひとつで一日を過ごしていく毎日だった。 精一杯の自分だった。すべて自分の目で見て耳で聞いて頭で考えたことだけが頼りの日々。毎分毎秒が勉強で、泣きそうになって、でも自分しかいないことを噛みしめながら見知らぬ町を地図を片手に一歩一歩歩いていた孤独な時間。 TRAVEL(旅)はTROUBLE(困難)の語源であることを体感し、「人に迷惑をかける」という意味に発展するのもうなづける経験だった。 社会人になってからの留学は学生のそれとは根本的に違うと思う。社会に出ると否が応でも社会の一端とつながりを持つ。それには普段気付かず過ごすが年を重ねるほどに太くなってゆく。 会社員になる、挨拶を交わすご近所さんを持つ、行きつけのお店がある、かかりつけの医者がいる、道端でかつての同級生に出会うかもしれないとちらっと思いながら買い物に出掛ける。そういう、ちょっとした人間関係を築きながら社会に帰属しているものだ。 そういうすでに構築された関係の中で生きるというのは、ある座標軸に確かな値があるようなものだと、その座標のどの点にも属さない生活をしてみて始めて気付いた。そして、そういうものにいかに大きく依存しているかも。 大げさでなく、何にも持たずにお金と自分自身の微細な能力だけを携えて、ヒースロー空港に降り立ったときには「ああ、昨日まで日本にいた自分はどこにもつながっていないんだ」と愕然としたのを覚えている。 私は塾のセンセイでも。奥さんでもなく、学歴も経歴も、ましてや自分の中の常識も、なにも自分を守ってくれるものはないんだと。 でも、そういう丸裸になって、自分と向き合うというのは、本当に貴重な経験だった。 長々と昔話にお付き合いいただき、有り難うございました。偉そうなことを言っても、払った犠牲に見合った成長を遂げられたのか、今もって不明です。 そんなことをしなくても、今現在の子育ても、「自分は何たるか」をまざまざと見せ付けられる瞬間の連続ではなかろうか、と思うこの頃です。 ロンドン、St.James Parkにて。自分の足でしっかり立つぞ!と決意した場所 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年09月28日 18時31分38秒
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