薬師の湯(臼杵)で一般人のマナーの良さに驚く
別府が「壁」になって、臼杵まで足をのばそうと思えないでいたのには、臼杵の温泉事情もある。臼杵は元来、温泉のない街だ。唯一の天然温泉が臼杵石仏のそばにある「薬師の湯」。だが、「地下1,300mから湧き出ています」という説明書きを読めば察しがつくとおり、わざわざ深く掘って温泉水を汲み上げているわけで、放っておいても湧き出てくる他の九州の有名な温泉地とは、事情が違う。それでも温泉は温泉。夜になって行ってみた。施設・設備はまだ新しく、値段のわりにはきれい。露天も解放感がある。混んではいたが、お客は皆礼儀正しく、常に他人の迷惑にならないか気を使っているようだった。地元民らしい子供連れも多かったのだが、こちらの進行方向に自分の子供がいたりすると、すぐに叱って通るスペースを開けさせる。公共の場での子供のしつけに非常に厳しい。あるいは、少なくとも、「自分は厳しくしている」ということを親が他人に見せている。その徹底ぶりに少し驚き、「そういえば、昔はこうだったよなあ、日本って」と思いつつ、「子供なんだから、ちょっとぐらい周りに迷惑かけるのは当たり前なの!」みたいに子供を野放しにするヤンママが増えてしまった大都会の事情を思って、嘆かわしい気持ちにもなった。こういう自分中心の態度はヤンママに限らない。人にスペースを譲るどころか、自分の歩く方向に人がいてぶつかったら、ぶつかった自分ではなくそこにいた相手が悪いというような顔をして、相手が自分より弱い女子供だと見るや、すかさず怒鳴りつけるようなオヤジもいる。電車にのれば、肘をつかって人を押しのけ、自分のスペースを確保するの当たり前だし、小さな子供をもつ親は総じて、自分の子供が迷惑行為をするかどうかより、見ず知らずの他人が自分の子供に危害でも加えないかと警戒している。そんな人に慣れてしまった東京人としては、何かと「あっ、すいません」「あっ、すいません」とよけられると(なんという伊香保との違い…)、「いえ、なにも謝ることはないんです。わざわざどかなくていいんです。脇を通りますんで」とでも言いたくなる。それでいて、相手に堅苦しさをを感じさせないのが九州人の不思議なところ。露天からは、星がきれいに見えた。聞きなれない方言を聞きながら、ゆったりとリラックスするMizumizu。鏡と手洗いシンクに有田製の絵付けが使われていた。文化の裾野の広さというのは、こういうところに出る。更衣室の隅のこんな場所をスマホで撮ってるMizumizuに、不思議そうな目を向ける地元民。喜楽庵でも、トイレの手洗いシンクに、エビと蕪、つまり喜楽庵の得意とする海と畑の幸の絵付けがあった。ブルー一色で濃淡を使って甲殻類と野菜の特徴を表現しており、並々ならぬ力量を感じさせるものだった。おそらくは一級の職人の手描きだっただろう。絵の流儀は有田のもののように思えた。過去の優れた文化遺産、古い街並み、美味しい食事…いい街だった。また1つ、九州で好きな街ができた1日になった。