2012/07/25(水)01:07
迷ったときには、原理原則、原点初心に立ち返るべき。
こんばんは、
原発再稼働反対、オスプレイ導入反対、沖縄基地移設問題反対・・・
反対ばかりのニュースで、混乱されている方も多いと思われますが、いかがお過ごしでしょうか?
確かに、上記の3つとも、無くて済むならない方が良いと、私も思うのです。
しかし、歴史や今の日本の現状を考えたとき、単純に反対が良いのかどうか?
冷静に考えると、そうでもないように思うのです。
私もジャーナリストの端くれでしたので、ガーデニングとは関係ありませんが、ある方向性を書き留めておこうと思います。
原発再稼働反対。
東日本大震災で、原発事故の恐ろしさを目の当たりにしました。
「1000年に1回の地震や津波に備えて、日本中の原発は止めるべきだ。」
こういう意見も、わからなくはありません。
しかし飛行機は、大体10000回に1回落ちますが、それを理由に、飛行機に乗らない方は少ないと思います。
交通事故にあうから、外出しない・・・こういう方も少ないでしょう。
なのに、原発再稼働は反対。
私には、矛盾に見えてしまうのです。
国の生活、経済安全、国防のために、電力は必要です。
原発再稼働に反対の方は、その確固たる意志を示すため、
「一切、電力は使わない」
「原発以外の電力に限り使用する」
「火力や太陽光発電のため、積極的に電気料金を多く払う・・・
または、値上げに協力し推進する。」
などの、覚悟が必要だと思うのです。
「節電のため、銀行や公共機関が暑い・・・」
「節電のため、電車が来ないので、約束に遅れた」
「節電のため、裏道で犯罪にあった。」
「節電のため、夫や子供が失業した。」
こういう言い訳は出来ないと思うのです。
私は、全ての原発を再稼働させ、震災前の日本に、早く戻すべきだと考えています。
その上で、20年とか50年とかの時間を区切って、全原発の廃炉と新エネルギーへのシフトの計画を立てなくてはいけないと思っているのです。
原子力自身、今の人間の科学では制御できないことがわかりました。
しかも、使用済みの燃料。
本来は、無限増殖の再処理で、永久に使えるエネルギーと考えられていました。
「原子力さえあれば、もう、石炭や石油のために戦争しなくても良い」
そんな、夢の技術だったんです。
しかし、再処理技術は半世紀経っても実現できず、使用済みの燃料が溜まっていきます。
使用済みの燃料棒は、国や人類の財産から、ただの廃棄物へとなっているのが現実です。
その保管も、もう限界でしょう。
使用済みの燃料の再処理が出来ない限り、原発は廃炉にするべきなんです。
熱でお湯を沸かし、蒸気でタービンを回し、フレミングの法則で電力を得る。
この方法は、500年以上も前の産業革命、ジェームス・ワットさんの蒸気機関から進化していないのです。
ただ、熱源が、木から石炭へ、石油・ガスから原子力へと移っただけです。
熱=電気
この常識から、離れる時期なのです。
例えば、 光=電気、イオン=電気
みたいに、発想を転換すれば、500年ぶりに、次世代の発電が産まれるのではないでしょうか?
全原発再稼働の間に、世界でも類を見ない優秀な日本の電力会社の技術と発明で、次世代の発電にシフトして、世界のエネルギー事情を、日本から変えて欲しいと願います。
原発の話しが長くなってしまったので、オスプレイの話しは、次回に書きたいと思います。
危険だ危険だと騒がれているオスプレイ。
でも、そのオスプレイは人間が操縦するのです。
アメリカ海軍でも、飛び抜けて優秀なパイロットが、オスオプレイを操ります。
オスプレイは、墜落しても、替わりはいくらでも作れます。
でも、優秀なパイロット(人間)は、死んでしまえばお終い。
決して、量産はできないのです。
アメリカ政府と軍が、某共産国の海洋進出を封じるための切り札として、満を持して配備を進めるオスプレイ。
本当に危険なのでしょうか?
どうも、第三国(オスプレイが配備されると困る国)の陽動作戦が臭います。
物事、初心に立ち返ると、ニュースも違って見えてきてしまうのです。
それが、特集や番組になるのですけど・・・
私的な文章で申し訳ありません。
元同僚へのメモみたいなものなんです。