歴史好きな方ならご存知かもしれないが、津軽では初代藩主の津軽為信(ためのぶ)は津軽を統一した人として評価されている。が、弘前城を作ったり、陸奥湾の善知鳥村に大きな港を築いたり、津軽騒動を鎮圧したりした内政を重視した二代目藩主、津軽信枚(のぶひら)の人気も高い。
シダレザクラの巨木
![IMGP4731.JPG](https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/30/0001226730/03/img2e88bf63zikdzj.jpeg)
名前も信牧なのか信枚なのかも決着していない。津軽藩統一誌など、歴史書を転記する際、誤植してしまい、どっちがどっちか分からなくなってしまったのが、正直な所であろう。
この信枚は、為信の三男。側室・栄源院の子である。信枚の正室は豊臣秀吉の奥さんの高台院、ねねの養女である「辰姫」。この辰姫は石田三成の娘である。天下分け目の関ヶ原では石田三成の遺児を匿うなどしている。
高照神社境内高札
![IMGP4732.JPG](https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/30/0001226730/04/imgc5636766zik1zj.jpeg)
ここで、徳川家康から自分の養女、満天姫を正室とするよう迫られ受諾。辰姫は側室になる。この満天姫は松平康元の娘で、近衛家を通じて津軽家へ嫁に来ている。家康に嫁ぐ祝いに好きな物、何でも持っていっていいよ!に対して家康が当時一番大切にしていた金屏風。満天姫がこの関ヶ原合戦の屏風が欲しい~持って来ている。また、日光東照宮は当時、家康の墓として誰しも憚ったが、家康の崩御と同じくして、弘前に弘前東照宮建設の認可が来ている。(当初は本丸の一郭にあったようだ)これも満天姫の力である。まだまだ、エピソードは沢山あるのだが、後日にしよう。
先日頂戴したミズ(ウワバミソウ)津軽では珍重される山菜
![IMGP2589.JPG](https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/30/0001226730/05/img49b4fac8zikezj.jpeg)
今日は高照神社=信枚の墓所=のシダレザクラを紹介しようとして、歴史になってしまいましたわぃ~!
昭和時代を詰め込んだ”おもしぇ~学校”