昨日、仕事で板柳町に行って来た。会議への出席が主目的であったが、会場の多目的ホールの隣りにある、以前から気になっていたが、ようやく探し当てた博物館に顔を出して見た。あくまでも外観を見学したに過ぎないのだ。休館日でしたからね。
通ったり、付近に行った際には、必ず探していた建物だったのです。板柳町立郷土資料館が正式な名称なのだが、この資料館のパンフレット表紙の建物がいかにも、明治時代のレトロな景観を醸しているのだ。しかし、何度行っても見つける事ができなかったのだ。この表紙の建物を見たいがため、探していた。
資料館自体は、何度も正面を見ていたのだ。昨日は通りかかると中から職員が顔を覗かせていたので話を聞いた。
私「すいません~パンフにある建物写真は何処に行けば、あるんでしょうか?」
職員「えっここですけど!」
私「えっ?何処?本当にここですか?」
話を進める内に、学芸員でもなく休館日の留守居を守る役場職員である事が見て取れた。表玄関には陳腐な表札「板柳町立郷土資料館」と墨で書かれた物があるだけ。建物自体はかなり老朽化が進んでおり、場末の二階建て公民館のようにしか見えない。窓は表こそガラスは入っているが、裏の窓には変形予防であろうか、板が張ってあるような、正直今にも崩れそうな建物なのである。これは行政を非難しているのではない。傍には立派な「あぷる」と言う建物があるのだが、この中に移転しても良かったのではないか~の思いである。
職員「ここの正面から建物伝いに裏に回ってください。すぐに分かりますよ」半信半疑に左手に回って見た。十歩も歩いたろうか。それはすぐ発見できた。見つかったとは書かない。それは発見したに相当するような驚きである。なんでまた、こんな所に~!職員は畳み掛けた「以前は通りからも見る事ができたのですが、そこに建物が建ってしまったもので影に隠れるようになってしまったんです」
あぷる外観
今まで探しても見つからなかった訳が漸く、理解できたのである。明治時代の名工・堀江佐吉の手による作品である。弘前の第五十九銀行本店(記念館)や丸いドーム型屋根を持つ弘前図書館を建築した棟梁である。宮大工が近代建築を取り入れた弘前市を代表する建築家である。彼の事は空白さんがシリーズ化しているので、そちらをご覧ください。
この資料館の横にへばり付いていたのです。てっきり正面玄関に据え付けられているとばかり思っていた、私が愚かでした。また、彼の(建築物)流転移築経歴も凄い。これだけでも一日分書けるくらいなのだ。明治32年板柳尋常高等小学校の正面玄関~旧役場庁舎正面玄関~その後この郷土資料館(旧板柳中学校)に併設されたのだ。中身についても、縄文時代草創期後期のベンガラ着色壺が多数発掘されており、中も見たいのだが、今度にしましょう。
見てすぐ分かる自転車置き場
デフォルメされた自転車が気に入った
おっと、もう六時を回ってしまいました。今日は雨降りです。送って貰わねばなりません。