2018/07/08(日)05:00
【嵯峨野巡り1.】 源氏物語の野々宮神社
九州から四国関西に掛けて数十年一度と言う記録的な長雨大雨
特別警報が発せられ各地で川の氾濫そして土砂崩れで
被害が多く出だしました痛ましい自然災害です
被害者の亡く成られた方のご冥福祈ります
私の方は側の山科川も水位が下がりつつあり一応助かった
様子です 本日が雨のめども降るのは免れそうです
ご心配お掛けして済みません
嵐山の景観に酔ってその後はいよいよ
嵯峨野巡りに参りましょう 【嵯峨野巡り1】
歴史の真相は定かでは有りませんが、伝説では、いにしえにも女性の「哀話」が隠れています。そして【嵯峨野巡り】にも、静かに潜んでいます。従って女性には京都の観光で、一番人気があります。勿論春は桜、秋には紅葉の景勝地でも有ります。
文化・詩歌にも史跡を見出し、世相の喧騒から人間らしさの原点に戻れそうでも有ります。
既に【嵐山】【渡月橋】そして【天龍寺】世界文化遺産はお話しました。特に 【琴聞き橋】と【小督局】は、筆頭に御紹介しました。
天龍寺を後にして、 「小柴垣」の道を歩み最初に辿り着いた社が嵯峨野巡りの入り口
野々宮神社本殿【野々宮神社】です。祭神は「野宮大神」(天照皇大神)が祀られて居ます。
「黒木の鳥居」をくぐるも、こじんまりした小柴垣に囲まれた神域で、小さい苔と池のある庭園も見られます。
苔の庭園 「伊勢神宮に仕える前に「斎宮」(さいぐう・いつきのみや)に選ばれた未婚の皇女が「潔斎」(けつさい)のため1年間篭られるそうです。
【源氏物語】第十帖【樫木の巻】 (さかきのまき)に登場します。【光源氏】(ひかるげんじ)と【六条御息所】(ろくじょうみやすどころ)の別れの場面です。
光源氏(23歳)は、少女のような「紫の上」と結婚したものの、気持ちが充たされなかった。
それにつけても、青春時代を埋めてくれた「六条御息所」(30歳)が愛おしかった。その御息所(みやすどころ)が源氏を待ち切れず、「斎宮」とともに伊勢神宮に下向するという。源氏は嵯峨野を尋ねて会おうとするも、会ってくれない。源氏は「榊」(さかき)を持って来て強引に会うことが出来たが「神聖な榊を折って来られたの」と責めて伊勢神宮の下向を思い止らなかった。
源氏は、この年上の恋人の深い愛情を無視して心奢って、ないがしろしたことを悔いた。源融は、ほんの近い【嵯峨釈迦堂・清凉寺】に住まいしていました。
【嵯峨野の竹薮の道】
野々宮神社を後にして、小柴垣から。大らかな嵯峨野の竹薮の道を歩みます。とても豪壮な「孟宗竹」でコマーシャルの背景によく出てきます。天龍寺拝観時の裏手出口周辺にこの素晴らしい竹林の景色が観られます 外人さんも真剣にシャツターを切っている姿を見かけます 孟宗竹林と小柴垣 「孟宗」とは、中国の古事【二十四孝】にでてきます。孝行息子【孟宗】 のお話です。「冬の雪の積もる季節に、母上が、筍を所望されました。孝行息子の誠意の念力と願いが適い、竹薮から「筍」を掘り出す事が出来ました。それを聞いた村人は、感動して「孟宗竹」と名付けたそうです。ここでも中国の良い面があります。昔の中国人は偉かった。でもこの程共産党トップ書記長が【習近平氏】に代わりましたが、日本との外交政策は、如何成るのでしょうか?互恵の政策が立てばよろしいが、支配の傾向がみられます。 次回は「大河内山荘」へご一緒しましょう。