MJQ・日本文化を楽しむ会
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徒然410
舞台感想記156
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なかなか充実の配役で見ごたえアリ。どちらかというと夜の部のほうが、より充実か。くわしくは、またあとで。
2007.03.13
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吉田都がオディールをつとめる日のチケットが、 奇跡的にとれた。 会場に行ってみると席も予想以上によい場所にて楽しめた。 k-balletの白鳥の湖は、見慣れたものとはけっこう異なる感じ。 歌舞伎に対するスーパー歌舞伎、みたいな位置付けともいえそう。 派手にスピーディー、物語が分かりやすい等等。 一方で、割り切ったものもあるのだろう。 全般にペースが早め。スタスタという感覚。「スタスタ」は一歩間違うと、アタフタ、バタバタにも。そんな感じがした箇所も、いくつかあったような。 ロットバルトがよかった。王子とオデットは、まあ…。 さて、何と言ってもお目当ての、吉田都のオディール。 磨き上げた芸の力で作り上げ紡ぎ出した、まさしく舞台上の幻。動きの軽やかさや音楽性はもとより、 目線など表情のほうも演技が冴えわたる。優雅さももちろん保ちつつの回転の安定さとスピードは、他にちょっと類を見ない。 小悪魔系や女王系とは、また異なるオディール像。強いていえば、「妖精」という感じか。 大満足。
2007.02.27
今は大阪で上演しているが、自分が見たのは先月の新橋演舞場。劇場に入って思ったのは12月に比べて観客の平均年齢が20~30歳は若いこと! 序盤から退屈させずに、ぐいぐい芝居が進んでいく。 途中で結末が読めた・・・ような気にさせられかけたが、いい意味で裏切られる。 この舞台の立役者は、市川染五郎。 『阿修羅城の瞳』のときにつくづく感じたことだが、 歌舞伎で鍛えたカラダはすごい。他の出演者とは明らかに違う。 同じような動きをしていても、カラダに身についた色気やコク、のようなものが確かに感じられる。 芝居全体にエネルギーが溢れている。 本火・本水も使い、立ち回りも激しい。 大音響のロック音楽が少々うるさかったのが唯一の難点。 まじめな芝居の間にときどき突然あらわれる、 急に素に戻ったような現代調の会話のはさみ具合も、 くだけすぎず、これぐらいでちょうどよいかな。 江戸時代の人々にとっての歌舞伎は、 むしろ現代人にとってのこのような芝居だったのかもしれない。
2007.02.24
国立劇場・小劇場。「朱雀堤の段」のあと休憩をはさみ、「環の宮明御殿の段」。大夫三味線が三組、それぞれ聴きごたえあり。鶴澤清治の、余韻を残す音色。十九大夫の大きな深み、咲大夫の気合。豊澤富助・鶴澤燕三の撥さばき。人形では、桐竹勘十郎の貞任が、貫禄と凄味を見せて特に目立った。これで三部をすべて見たことになる。いかにも文楽、人形浄瑠璃という、見ごたえ聴きごたえある演目がならび、今回の公演はなかなか充実していた。近松もいいのだが、近松づくしとなると食傷気味になりそうで。今回感じたのは、三部制というのが、時間的にはほどよいこと。二部制の場合、上演時間が長く、しかもぎゅう詰めで、見るほうも体力勝負。(通し上演の場合、それでも時間が、足りないくらいだが。)それでも今回、一日で、二部あるいは三部、通して見ている観客も多かったようではある。
2007.02.19
国立劇場小劇場。玉手御前を遣うのは吉田文雀。大人の女性の慎ましく奥ゆかしい色気が絶品。第三部の妹背山のお三輪に見られる、蓑助の人形の少女ぶり、可愛らしさとはまた好対照。野澤錦糸の三味線がまたよかった。生理的快感ともいうべき三味線。特に幕切れは圧巻。
2007.02.13
今月の歌舞伎座は、仮名手本忠臣蔵の通し。七段目が素晴らしい!祇園一力茶屋の場面。由良之助:吉右衛門お軽:玉三郎平右衛門:仁左衛門これだけ幕見でもいいから、行っておくことをおすすめしておこう。
2007.02.07
最近、立て続けに2本、洋モノ翻訳ミュージカルを見た。1年ちょっと前のことだったと思うが、もう1本、また別のミュージカル、やはり洋モノの日本語版を見たことがある。自分的にはどうにもいまひとつ…。芸術としてというよりも、ビジネスとして、商業的に成功した娯楽ではあるが。というわけで、外国ミュージカルの日本語版は、自分の肌にはあまり合わないらしいことが分かった。それでも、食わず嫌いで終わらせてしまうよりは、実際に見たうえでどうだったというほうがずっとよい。やっぱり、自分好みとしてはもう少し芸を追及したもののほうがよい。
2007.01.31
松竹梅:正月興行の幕開けにはおあつらえむきの踊り。俊寛:吉右衛門の俊寛からは、登場した瞬間より目が離せない。ココロと形が高いレベルで一致。大げさすぎずわざとらしくならず、でも見事に十分に劇的。ラストシーン。絶海の孤島に独り、というのが、ありありと伝わってくる。これを感じさせたのは初めて。呆然と彼方を見つめる表情。いつまでも見ていたいところに幕が引かれていく。歌舞伎の醍醐味ナリ。勧進帳:荒削りであっても清新さあふれた、先日の演舞場のほうが思い出される。喜撰:勘三郎が神妙に踊っていたように見えた。
2007.01.18
昼は「すし屋」と「身替座禅」、夜は「渡海屋・大物浦」と「身替座禅」というわけだが、全体としては昼のほうがよかったと思う。いかに周りの役が健闘しても、やはり主役の出来にかかってくるのだから・・・義経千本桜 すし屋:愛之助の権太は、比較的最近に歌舞伎座で仁左衛門が演じたような上方の型で、ごつごつした野太い権太。「面あげろ」のところで使う松明に、本火。やはり本火はよい。義経千本桜 渡海屋・大物浦:序盤、相模五郎(亀鶴)と入江丹蔵(愛之助)がよかった。後半になっての注進も健闘。女房お柳実は典侍の局(七之助)が、予想をこえて意外と見られた。源義経(勘太郎)の貫禄と品格はなかなか。昼の部の松明が本物の火だったので、知盛の出陣の場面でも本火が出るかと思ったが、そうではなかった。残念。身替座禅:浮気者の恐妻家である山蔭右京は、昼夜ともに勘太郎。彼はよかったと思う。太郎冠者と奥方玉の井は昼と夜とでそれぞれ異なるため、演目としての印象はこれでかなり変わってくる。夜のほうが、松羽目物らしさがまだしも感じられた。昼のほうは、笑いは多いようだが、テレビのお笑い的なノリへの視聴者的反応という感じで、いただけない。この演目だけなら夜のほうがよかった。
2007.01.11
神霊矢口渡:終盤、お舟が斬られてからが見どころ。富十郎の頓兵衛が複雑な手足の動きで、花道の引っ込みをたっぷりと見せる。菊之助のお舟も、斬られたあと必死で太鼓を鳴らそうとするあたりが見せる。これならば、妹背山のお三輪などもよさそう。出刃打お玉:ベタといえばベタな物語で、数年前に見たときはそのあたりが少々目に付いたような記憶があったが、菊五郎のお玉の芝居が今回は自然に見えて、おかしみと最後にほろりとさせそうな味わいがあって、佳作だった。紅葉狩:海老蔵が更科姫(実は鬼女)を演じる。姫のあいだは、踊りの腕はさておき、玲瓏たる風情は、なかなか。祖父(先代團十郎)が若かりしころ関の扉の墨染を演じたのがよかったというのが、ちょっと分かるような気がした。姫の姿のときに鬼の本性を顕すところや、上手に引っ込んでいくところは、オーバーすぎに見えた。鬼になってからは、元気よく動く。連獅子や鏡獅子のような長い毛(白でなく茶色だが)をふりまわすのが、ちょっと他の人ではありえないぐらい激しかった。動きまわすだけが芸とは限らないにしても、妙に感心。もう一点、侍女野菊をつとめた「市川ぼたん」は、海老蔵の妹。舞台上手の幔幕から出てきたときの二人の横顔の輪郭が、さすがは兄妹でよく似ていたのが印象的。きっちりと踊っていたように見えたが、歌舞伎の舞台の上では線が細く見えてしまうのは止むを得ないのだろうか。演目自体が、紅葉がいっぱいの舞台面にしても三方掛け合いの地方にしても派手ではあった。
2006.12.20
ロパートキナのオデット/オディールは、芸の力が作り出した舞台上での幻として実在し、ふたたび姿をあらわした。◇ 1幕1場。まずここからして、今回の5公演でも最高の出来。(これで最後だという思い入れのせいかもしれないが。)1幕1場というのは、ふつうは白鳥が出るまでのつなぎぐらいにしか見えないことも少なくない。これだけでも十分に見せるというのは、さすがは本家の実力。 パドトロワの男性は近い将来の王子候補だな。女性のふんわりした手先足先も上品に綺麗。道化も存分に大回転を披露し、3日間で5回とも見事に決めたことになる。おつかれさま。 皆が楽しそうに踊っている気分までがこちらに伝わってくる。おかげで、このあとの2場の幻想的な世界がいっそう引き立つのかもしれない。 ◇ 1幕2場。 湖のさざめきのような旋律に乗ってオデットが登場。同じ人間とは信じられなかった。彼女の肢体は違う素材でできているとしか思えない。たおやかなこと限りなく、触れたら消えてしないそうな風情。首、手先からつま先、全身の隅々に至るまで白鳥が乗り移ったかのよう。白鳥の真似をしているとか、白鳥っぽい動きということではない。白鳥でもあり人間でもあるオデットそのものが目の前にいると納得できてしまうのだ。 それに続く出会いの数分間。ここに、オデットの運命のすべてが、この演目のエッセンスが凝縮されているかのようだった。奇跡を目の当たりにしているとしかいいようがない。あれほどに抑制された動きでありながら、あれほどに激しい感情の動きが伝わってくるとは。まばたきをするのも惜しみ、息をすることすら忘れそうに引きつけられる。もうここで目が滲んでしまった。 続いて白鳥の群舞が登場してくる。マリインスキーの白鳥の湖ならば世界でもトップレベルのはずである。その白鳥たちですら、オデットのあとではかすんで見えてしまう…。言うならば、美しくはあってもやはり人間なのだ。しかるにロパートキナのは、人間を超えていた。夢のような2場が終わりオデットが上手袖に引っ込んでいくときは、完璧なシルエットがしだいに闇に溶け込んでいった。「彼女はこの姿のままで一晩中森の中を舞いつづけるのだな」ということまでが伝わってくる。 この味わいはもう、日本の伝統芸能的な世界だ。うろ覚えだが、能の「山姥」の山は一つの山ではなくどこまでも果てしなく続く山々で、山姥をつとめる者は舞台が終わってからも山姥が山々の中を永遠に舞いつづけるように演じるべし、みたいな話。 ◇ 2幕。 ロパートキナのオディールは、王子のみならず満場の観客をもノックアウト。コケティッシュな魅力で女性が男性を誘惑するというレベルではない。もっと深いレベルでのまさしく魔法で、王子のみならず観客全員を心の底からがっちりと虜にした。 すべてを冷徹に計算し、王子が落ちることを確信したうえで誘惑したり拒絶したりのゲームを演じている。心の内をちらりと見せたと思われるのが2箇所。ひとつは、窓の外にオディールが現れたとき。「まずい!」というのが、一瞬だけ目の動揺に出る。あとは、王子が誓ったあとの反応。人によっては甲高く嘲り笑うようなやりかたもあるが、彼女の場合は「やっぱりきたか」という感じで、フンと立ち去っていく。これにより、かえって王子の愕然さが鮮やかになる。 さらにさらに、自信をもって王子を陥れる彼女のさらにその奥には何があるのかということまで思いをめぐらさせられる。彼女はロットバルトの何なのだ?手下か、愛人か、実は彼女自身も囚われの身なのか。王子を誘惑するのは、仕事なのか命令なのか?誘惑に成功したあと、オディールの身の上はどうなるのか?万一失敗していたら彼女はどうなったのか?ロパートキナのオディールでは、そこまで気になってくる。 ◇ それにしても、オデットとオディールの対照は実によくできている。 オデットでは、優雅で静かで滑らかな動きの奥から、運命への絶望や未知への不安や王子への希望が渦巻きながら熱いうねりとなっているさまが垣間見える。 オディールのばあい、派手な動きの裏側に虎視眈々と王子を陥れようという冷徹な意思が息をひそんでいる。 ここで、はたと気付く。 オデットは静の中からも動がたちあらわれ、 オディールでは動の中には絶対的な静が息を潜めている。 これは歌舞伎の「船弁慶」ではないか! 静御前は静中の動、平知盛は動中の静。 これをはっきりと分からせてくれたのは、ロパートキナの芸の力である。 ◇ 3幕。 1幕1場のようにややもするとおまけの付け足し的にもなりがちなこの場面も、マリインスキーの場合には、そうではない。この「結」を決めることで、本家「白鳥の湖」の起承転結が完成するというものだ。 神韻縹渺たる序盤から、音楽も爆発的に盛り上がる対決へ。一転して、天上の音楽かのようなハープの調べと朝焼けの光に、幸せな二人のシルエットが立ち昇る。 カーテンコール。万雷の拍手というのはまさしくこういうものだろう。 ◇ ロパートキナの身体は手先から足先までコントロールされきって、すべて何かを表現するために動いている。オデットやオディールを踊っているのではない。演じているだけでもない。もはやオデットそのものとなって嘆きと希望と勇気を表現し、あるいはオディールそのものとなって自信と誘惑と冷酷とを体現しているのだ。 これぞ「芸」だ。 他のダンサーでもっとも優れた部類の人たちの場合でも、体操めいてしまう。すなわち、身体の動きが先に来ているような部分が多少なりともある。それはそれで十二分にすごいことであるし、動き自体の面白さや美しさというものはあるにしても。 そのような場合にはダンサー自身からエネルギーが押し寄せてくる感じがあるが、ロパートキナの場合には観客のほうがどんどん引き寄せられ吸い込まれてしまいそうになってくる。ただもう唸るばかり。 ◇ 以上、ロパートキナの至芸を堪能。 ガラのときには、とにかく初めて見るロパートキナということでいっぱいだったし、金曜日はやはり初めて彼女の白鳥ということでやはりのぼせていたと思う。今回やっと、少しは落ち着いてじっくりと見ることができた。 結論。マリインスキーの至宝という看板に偽りなし。それどころか、バレエの至宝であり、芸術の至宝といえる。いまこの時期の彼女のオデット/オディールを見ることができたのは、幸せというに尽きる。 なお、音楽は、ここぞというところで2回ほど少し妙な音があったほかはさすがによかった。特筆しておきたいのがハープ。5回ともコンスタントに妙なる調べを奏でていた。 今回の日本ツアーの最終公演は、マリインスキー・バレエとしても来日チームの実力を出し切ったと言えるのではないか。 ふと、不安になる。こんな白鳥を見てしまうと、このあと何を見ても物足りなくなりそうで…。 ◇ マリインスキーが次回日本に来るのは数年後になろう。今回の若手がどれだけ成長しているのか。ロパートキナの芸もますます円熟しているはずだ。もういまから待ちきれない。
2006.12.12
ついに、ロパートキナの白鳥。 マリインスキーの今回の公演ではそもそもこれが本命で、前売りで買っておいたのもこちらのキップだけだった。 1幕1場: 幕が開いての第一印象は、舞台が落ち着いているということ。この落ち着きはなんだろう。海賊のときとは明らかに違う。 ダンサーたちは、身体も顔もそりゃ整っているのは当然というだけにとどまらず、貴族「らしさ」がばっちり。 さすがは本家本元の十八番。 パドトロワ。小さなミスらしきものはあっても、今日においては、舞台全体に満ち満ちている圧倒的な空気が優しく包んでしまう。 王子は急な代役だったようだ。坊ちゃんぽく品もあり、悪くはない。 道化がよい!技のキレもすぱっと決まり、演技のタイミングもばっちり。終盤近くの大回転。あんなに速くきれいに長く回り続けるのは初めて見た。さらにそのあとには、海賊でサラファーノフが会場を沸かせたあの技?それでいて一線を守ってでしゃばり過ぎない。このあたりにもマリインスキーの気品を感じる。 白鳥の湖の一幕としては、ダントツの出来だった。1幕2場: ロパートキナの登場。わずかに控えめに見える動きだが、すみずみまで神経がいきわたっている。マリインスキーのダンサーは手の動きが特に優美だと今回知ったが、ロパートキナのオデットではそれがまた格別。先月のザハロワでも大したものだと思ったが、さらにすごい。どこまでもしなやかで柔らかだが芯は通っている。首をふる仕草のなんという瑞々しさ。とても同じ人間の身体とは思えない。 王子は、急な代役ということも考えれば十分に健闘。特に良かったのは、オデットへの愛情がしっとりと表現されていたこと。 コールドは、あと一段がんばってほしいような気もしたが、やはりこの優美さ幽玄さはたいしたものだ。 残念なのが、音楽。素人耳にも外したなと思えるのが2、3回。ほか、ところどころテンポがやけに遅くなったりもして、オデットのダンスに酔いたいな、酔えるかなと思っていると音楽に引き戻されてしまうこと数度。 それでもロパートキナのオデットはすべてを帳消しにしてしまえる。 2幕: 一幕もそうだったが、舞台や衣裳は重厚でありながらも、中世の宮殿や貴族の「らしさ」がばっちり決まっている。さすがは伝統、本家本元の力。 道化、あいかわらずよかった。 民族舞踊が、見せる見せる。王子はあいかわらずお人よしのおぼっちゃん風だが、オディールにも愛しいまなざしを注いでいるあたりは具合よし。もう少し力強さが欲しいかな。 ロパートキナのオディールは、気品溢れ、超然としたところもある。1、2度だけ、邪悪な意志が鎌首をもちあげるような気配をチラリと出したように見えた。 フェッテは、最初はダブルであとはシングル。ぶれやゆらぎもなく実にきれいに、一直線に前にせり出してくる。テクニックを前面に押し出さずに、最後まで品格を保った。決してワザに走りすぎず、それでいて十二分に魅せる。 もう少しだけしっかりした王子で、蕩けさせてくれる音楽だったらともいえるが、またもや、ロパートキナのオディールですべてはOK。 3幕: コールドは1幕2場よりも揃っていたようだ。 ロパートキナについてつくづく思ったのは、ずっと「続いている」ということ。動き自体もスムーズに続いているし、そこには内面表現が伴っていて、その気持ちが舞台に出ているあいだ中続いているように見えた。 オデットの気持ちが続いているせいか、1幕2場や2幕の姿が思い出されて重なってくる。そうしているうちに、涙とまではいかなくても、ちょっと滲みかけたかも。 ロットバルトもなかなかノーブルでよかった。最後は、片羽根をもがれての断末魔。しっかりとのたうちまわってくれた。でも品格は外さない。先月の新国立の新演出では非常に物足りなかった(勝手に入水するかのごとし)部分なので、よけいに印象深くなった。 というわけで、ロパートキナのオデット・オディールは至芸の名に恥じないものだった。 ひたすら美しい。気品。品格。優美。形と心が高い境地で一致してバランスがとれている。 ただ、公演全体としては「もっといけたのに…」と思わせてしまうところが心残り。 それでもやはり、キーロフ・バレエの『白鳥の湖』だ。 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0623.html 「…20人ほどのなかで、少なくとも3人が涙を流し、5人が何度か胸をつまらせ、残りのすべてが唸っていた…」 今回の自分は、<唸った>。ちょっと胸もつまりかけ、涙が滲みかけたこともあったかもしれない。
2006.12.09
題名はむしろ、「 3婆 + 1爺 」というのが相応しい。水谷八重子と波乃久里子との女の争いに園佳也子と笹野高史の破壊力が加わって楽しませてくれた。前半にいろいろと伏線が、後半にきいてくる。クライマックスは別れの晩に寿司を囲んでの夕食の場。ここでどんでんがえし?が。そのあと休憩をはさんでの最後の幕がまた効いている。年忘れの喜劇としてほどよい具合だった。最後には社会問題っぽい視点を少しだけ見せるのは、「恍惚の人」の有吉佐和子の原作ゆえ?
2006.12.05
ロシアのバレエの名門中の名門、マリインスキー。このたびの来日公演の東京での初日は、いま旬を咲き誇る名花であるディアナ・ヴィシニョーワづくしの公演。今回、「あなたのブログでレポートしてみませんか?」というブログ・レポーターに応募してみたところ採用となり、本公演の主催者であるジャパン・アーツにて用意いただいたチケットでの観劇とあいなった。◆公式HP◆http://www.japanarts.co.jp/html/mariinsky_ballet2006/<シンデレラ 第2幕より>「シンデレラ」のバージョンのなかでもかなり新しいラトマンスキー版。初演でシンデレラを演じたのがヴィシニョーワ。いわば彼女にあてて振り付けられたものだから、今回の公演にもうってつけ。第2幕は宮殿の舞踏会の場面。男性の燕尾服姿が珍しい群舞がひとしきり終わって一行が舞台を去ると、両手で顔を隠したシンデレラがいるという具合。(この登場のしたかたには、歌舞伎の助六での白酒売を思い出した。)青の背景、白い衣裳。両手をおろして顔が現れると、不安げな表情。どこに来てしまったんだろう、場違いではないのかという恐れ慄きがこちらの心にまでうつってきそうだ。やがて王子と出会い二人のパドドゥとなっているあいだも、ときおり不安が垣間見えてきていた。王子(コールプ)は、長身ながら引き締まった動きがなかなか。振り付けは、ロマンチックなだけではなく可笑しみや不安なども表現していて人間くさくもあるが、それでもやはり舞台の表現として昇華されている。ヴィシニョーワの動きは、的確であると同時に独特の粘りのようなものがある。そしてやはり、「華やか」という形容が似合う。同時にあくまで生身の人間として、不安や喜びや失望といった感情を身体で物語っていた。<バヤデルカ 第2幕>好きな演目のひとつでもあり、今回のメインディッシュと目していた。ここではキャラクターダンスもお楽しみ。なかでも黄金の仏像。ほっそりめで、とくに回転などはどこまでも軽やかに滑らか。形がじつに整っている。回転の速さよりも、回っている姿のきれいさを強く意識しているようなダンス。これは他のダンサーにもいえる。ぱっと見ではややあっさり目のようだが、よくよく見ると、足や手の形が先の先に至るまで実に美しいことに気付く。かみしめて食べ進むほどに滋味がふくらんでくる京料理といったところ?逆にいうと始めのうちは少々おとなしすぎる気もしていたが、次第に、じわじわ、じわ~っと舞台の空気が盛り上がってきた。一つのヤマが、ガムザッティ(テリョーシキナ)の、イタリアン・フェッテからグラン・フェッテ。足の上がり具合が実に綺麗にきまっている。ソロル(サラファーノフ)も、あと少しだけ貫禄が欲しい気もするが、軽やかで優美。舞台のテンションが十分に高まったところで、ヴィシニョーワ演じるところのニキヤが登場!まずは、全身から悲しみを溢れさせながらゆったりとした踊り。湖の底にゆっくりと沈みこんでいくような風情。花かごをもらってすうっと表情が晴れてくるところには演技力の深みを感じ、こちらも思わず惹き込まれた。(またもや歌舞伎でいえば、道成寺の「我も五障の雲晴れて」のくだりを思い出す。)ついで音楽がリズミカルに転じると、歓喜をふりまきながら舞台をいっぱいに使いながら踊り跳ねまわる。毒蛇に倒れてからは、大僧正が差し出した薬を拒否するというよりは、ふっと諦めてはらりと落とす。ガムザッティを指差すしぐさも、くどくはない。ソロルへの愛のために静かに死んでいくことを望んでいるかのごとし。プログラムで彼女は「テクニックも演技力も、自分の持てるものすべてを投入して踊る」と言っている。まさしくそのとおり感情の大きな変転を描き尽くして、たしかに観客をばっちりとつかんでいた。それとこの幕でつくづく実感したのは、このバレエ団では個々人のスタイルが、体つきにしても動きにしても、ほっそりしなやか、繊細で優美ということ。<ルビー>バランシン振付の三部作である「エメラルド」・「ルビー」・「ダイヤモンド」の一つ。日本で演ずるのは初めてということだが、本拠地や海外公演では何度も演じていて評判もよいらしいので期待していた。じつは今夏のバレエフェスティバルで、ヴィシニョーワの「ダイヤモンド」を見ている。技で見せてくれて十分によかったが、ルビーのほうがニンに合いそうな予感がしていた。「ニン」というのは、そのひとが持つ芸風に合うか、というようなことだ。(歌舞伎の劇評でときどき使われる。)ミッドナイトブルーの背景に、真紅の衣裳と白い肢体があざやかに映える。ヴィシニョーワをふくめたダンサーたちの動きは、手足、特に手首から先がなんともいえず細やかでたおやか。それらの軌跡というよりは残像が連なって空間に刻々と変わる幾何学模様を描いていく。プログラムにあった彼女の言葉によると、「身体がきれいに動く振り付けが多い」。そのせいもあってか、ヴィシニョーワの身体能力が際立っていたのを強く感じた。やはりニンに合っていたのだろう。以上、なるほどヴィシニョーワの魅力をほどよく味わうのにちょうどよい演目建てだったと思う。満載とまではいえないかもしれないが、休憩を入れて約3時間の3演目のなかで、あたかも前菜・メイン・デザートという流れに沿ったように、できうる限り多面的な魅力を堪能できたのは確か。3幕それぞれにカーテンコールがあった。バヤデルカの幕外カーテンコールのときに気付いたのだが、ヴィシニョーワは、彼女単体が輝いているというよりは、劇場と観客と自然と一体になっているかのようだった。ルビーのカーテンコールでもやはり、観客に溶け込んでいたヴィシニョーワの姿が脳裏に焼きつけられた。「晩秋のヴィシニョーワ尽くし・マリインスキー風味」を堪能。ごちそうさま。
2006.12.02
国立劇場の歌舞伎は、先月に引き続き、元禄忠臣蔵の第二部。《伏見撞木町》仮名手本忠臣蔵の七段目を実録風にするとこんな感じか。《御浜御殿綱豊卿》梅玉のあたり役、綱豊。期待にたがわず、よかった。欲をいえば、今一段の貫禄があれば尚良。翫雀の助右衛門も好演で、二人のやりとりが面白かった。あとよかったのが、我當の新井勘解由(新井白石)。今まで見た舞台では、綱豊とのやりとりが退屈気味で意味もよく分からなかったのが、今回はよおく伝わってきた。《南部坂雪の別れ》時蔵の瑤泉院、藤十郎の大石とも、まあまあ。ただ、伏見撞木町でもそうだが、大石については、先月の吉右衛門をどうしても思い浮かべてしまう。
2006.11.20
ザハロワのオデット/オディールは、ほとんど神がかり。カ・ン・ペ・キ。 とても人間とは思えず。あれは本当に白鳥の精ではなかったか。 本人としても会心の出来だったのだろう、 長くたっぷりとしたレベランスでは、自信と喜びのオーラでひときわ輝いていた。 当代の白鳥といえば、ザハロワではないか。 ナマで見た中、いや映像を含めても、白鳥の一番! 黒鳥は、悪魔になりきるのでなく、小悪魔にとどめた。 王子がオデットと見間違えるというのが、よ~く分かった。 もちろん、衣裳を黒に変えたオデットがいるわけではなく、 オデットぽさを随所に出しながらも、 やはり小悪魔的な雰囲気は漂わせている、 その塩梅がステキに具合がいいのだ。白鳥と黒鳥の演じ方でいうと、ガラリと変えるやり方が多い。 だがやはり、王子が見間違えるということでいくなら、 今日ぐらいの演じ方がよさそうだ。発見! そして32回転。 速さや回転数に走らず、堂々たる貫禄で決めた。 そのあとの振りも、抜群のキレを見せてくれた。 もう、彼女が舞台にいてくれさえしたら、 間違いがあるはずはない、 というオーラが舞台一面を圧していた。 再び四幕目で白鳥。 あの結末だけはよく分からず。 しかしザハロワがサイコーなので文句なし。 今日は、かなり前のほうの席。 おかげでザハロワの体の動きや、 顔の表情の細かいところまで堪能できた。 ザハロワの白鳥は、金曜日にも上演される。機会があれば、いや機会を無理に作ってでも見ておくことをオススメ。
2006.11.16
時今也桔梗旗揚: 海老蔵による小田春永の暴君ぶりが似合っている。 松緑の武智光秀は、いぢめに耐えた末の爆発の様子、まあまあ。 芝雀の皐月が、さすがに中堅の貫禄。 船弁慶: 團蔵の弁慶が立派。 菊之助、まだまだこの二役はきついか。 相当なベテランでも難しい役のはず。(以前に見た富十郎のはさすがに素晴らしかった。) それにしても、最後のひっこみ、 幕外、花道付け根での太鼓と笛の迫力は、たまらない。 義経千本桜・川連法眼館: 海老蔵が、猿之助の型に挑戦! 初役だし、課題は山々あれど、新鮮さがよかった。 何といっても若いから、よく動く。ジャンプがすごい。 とはいえ、芝居としての全体のバランスとか、 スムーズなハコビはまだまだまだ。 だが、意外と物語の骨格は伝わってきた。
2006.11.10
華やかで分かりやすい魅力に彩られた、昼の部だった。 番町皿屋敷: 播磨の一徹さとお菊のいじらしさとあさはかさとが生んだ悲劇 勧進帳: 海老蔵の弁慶の目玉は、ホンマ錦絵!!!若さ、そして勢いよ。 セリフ・動作ともオーバー気味だが、 今は、やりすぎぐらいでちょうどよいのかも。 富樫の「情け」も、なかなか。 ベテランによるマンネリ気味の「またかの関」として食傷気味ともなりがちな演目を新鮮に照らし、 人間ドラマを感じさせてくれたのが、 ずいぶんよかったと思う。 弁天娘女男白浪: ご本家、菊之助が演じる菊之助! 浜松屋では、振り袖姿での花道からの出に始まり、 見顕しで男と転じ、名セリフをうたいあげるあたりは言うまでもなく、 南郷との帰り道での花道のやりとり、 「坊主持ち」の余韻がなかなかよかった。 稲瀬川では、五人それぞれに合わせた下座音楽にのって、 花道からの登場にワクワク。
昼の部は、充実した内容だった。 先代萩-竹の間・御殿: 「竹の間」がなかなかよかった。 一歩間違うと退屈になりがちなセリフだけの芝居で、 ぐんぐんとひきつけられた。 仁左衛門の八汐が、憎憎しげで結構。 先代萩-床下: せり上がりの下座音楽は何度聞いてもゾクゾクする。 立派な男之助、結構。 ローソクの面明かりに照らされた團十郎の仁木も妖しさ満開。 先代萩-対決: ふてぶてしく底知れぬ凄味の仁木。 仁左衛門の勝元の、爽やかで、惚れ惚れするさばきぶり。 先代萩-刃傷: 團十郎、悪の凄味が全開。 目玉が光る。まさしく浮世絵顔。 段四郎の、老体の忠臣ぶり。 勝元の情が、泣かせる。 源太/願人坊主: 充実だが重めの演目につづく口直しにはもってこいの、すっきりした踊り。
2006.11.09
鶴亀: キレイな踊りでよいが、短い。 20分たらずで終った後に20分の休憩。 ・・・それでもって、のちほど、もう二つ踊りがある。 演目の組み立て、もう少しナントカならないかなぁ。 二月堂: 仁左衛門、大僧正の気品はさすが。 雛助狂乱: 白地に金と紫の色合いが、いい感じ。 珍しい演目だし、アクセントとして、いいか・・・ 五條橋: 富十郎の弁慶に、息子である鷹之資の牛若。 子供ながらきっちりと行儀よく演じて結構。 河内山: 團十郎のギョロ目が効く。 愛嬌あるわざとらしさが、この役に、はまっていたかも。 オレンジ色の法衣の僧姿、さきほどの「二月堂」と重なる。 これはいかがなものか? 夜の部全体として: 演目の組み立てがどうにも散漫な印象を否定できないような。
2006.11.08
連休に、歌舞伎座と新橋演舞場、双方の昼と夜とを見てきた。(さすがに、少々しんど)芸のレベルと演目の組み立てでは、歌舞伎座の昼。分かりやすい華やかさでいえば、新橋演舞場の昼。若手のエネルギーを感じるなら、新橋演舞場の夜。歌舞伎座の夜は、歌舞伎座の夜は、………………。くわしくは、数日内に。
2006.11.07
五段目:海老蔵の定九郎、悪の華!さらに、身体から闇の気配が匂ってくるのがよい。鮮やかな血。断末魔の迫力。六段目:仁左衛門の勘平。上方風というのか、いつもの型にくらべて、柔らか味があり、芝居のしどころはねっとりとした味もあり。最期、すべてを納得のうえで成仏しそうな安らかな顔が印象的。二人侍もよかった。髪結新三:演目として、季節はずれがすぎないかなぁ? 5月か6月のものだ。吉之丞の後家お常と段四郎の弥太五郎源七がよかった。かつお売りも健闘。
2006.10.23
元禄忠臣蔵の完全通しという国立劇場の好企画の第一弾。美しき日本語、美しき日本の姿、美しき日本人の心は、ここにこそある。下座音楽がまったくなくセリフだけでもここまでの芝居ができる。吉右衛門の内蔵助はもう絶品。できることなら彼の内蔵助で11月・12月も元禄忠臣蔵を続けてみたいと願っている人はかなりいるに違いない。日本人として必見と言っておこう。チケットは完売というが、機会があれば迷わず行くべし。
2006.10.15
寿曽我対面:菊之助の十郎と海老蔵の五郎は、勢いや若さが印象的。(形や味わいの洗練でいえばさすがにまだまだ親の圧勝だが。)田之助の大磯の虎が立派。そして、團十郎の工藤。白血病から復帰とのことで、掛け声や拍手も盛り上がる。けっして上手かったり器用だったりする役者ではないが、あの存在感は他に替えがたい。工藤の役もそれが生きるものの一つではなかろうか。一座を圧する貫禄は見事。一谷嫩軍記:ここでも團十郎が印象的。いかにも御大将らしい義経は、梅幸以来か。段四郎の弥陀六も充実。お祭り:仁左衛門が以前に大病から復帰したとき、演目がこれだったことを思い出し感慨にふける。あと、芦屋道満大内鑑は見逃してしまった。
2006.10.12
井上愛子(四世八千代)三回忌追善「京舞」の、二日目。 「東山名所」: 芸妓と舞妓が黒地の着物でしっとりと。 「三国一」: なんとも不思議な味わい。 「花の段」: 地方が一中節で、どこか夢幻っぽい雰囲気に包まれている。 「箙源太」: 戦物語から廓話、目まぐるしい人物の演じ分けが鮮やかで、魅入られた。 「木賊刈」: 枯淡の味わい。長唄が迫力。 「夕 顔」: 追善に手向けることが多い演目ということで、今回の趣旨にもずばりはまっている。井上八千代が導師となり三十名の名取を率いて舞う。三十一名の白足袋がびしりと揃うさまは、日本的な美、芸の一つの極致。
2006.10.02
菊畑:この時期にふさわしい、秋らしい演目ではあった。籠釣瓶花街酔醒:いま上演される歌舞伎の多くがそうであるように、この演目も、本来はもっと長い物語であるところの一部を上演する形で定着しているとか。そもそも、佐野次郎左衛門があんな面相に生まれつくことや、刀のいわれなどに深いいわくがある因果物語らしい。吉右衛門の演じる佐野次郎左衛門は、そんな業が彼に取り付いていることを感じさせるごとく、形やセリフ運びという外見と内面の演技が高いレベルで融合していたと感じた。序幕の見染めは尋常ならざる魂の奪われようだし、大詰めでは、ぐつぐつっと恨みの念が煮えたぎってくるあたりにゾッとさせられた。鬼揃紅葉狩:紅葉狩のアレンジ版という感じ。鬼を増やした一方で、演目として全体の味付けはやや上品に?
2006.09.19
◇車引 亀治郎、松緑、段四郎がなかなか見せた。 ◇引窓 登場人物のすべてが、他人のことを思いやるという美しさが、八幡の里、中秋の名月を背景に描かれる。吉右衛門の、巧まざる、にじみ出る愛嬌がよい。ほかも好演。◇六歌仙容彩・業平小町 踊りよりも雰囲気の演目。ならば雀右衛門と梅玉の二人はうってつけ。実際風情あった。 ◇六歌仙容彩・文屋 踊りが巧いとしても、それだけではさすがに難しい演目か。 ◇寺子屋: まずは源蔵(吉右衛門)が花道をうつむきかげんでゆっくりと歩んできて七三で止まり、はっと気を変えて舞台に向かう、そのイキでもう観客はぐぐっと引き込まれてしまう。 舞台で戸浪とのやりとりも、大袈裟な動作やウケ狙いの演技はまったくないにもかかわらず、心情がセリフだけでなく体の佇まいから立ち昇ってきている。これはたまらない。 松王丸(幸四郎)で、さらに空気の緊張度が高まる。よく、「密度が濃い」とか言うが、もう少しちがう言い方のほうがしっくりくる。舞台の空気が硬質になる、粒子が細かくなって凝縮する、という感じ。互いに気をびんびんと飛ばしているのがばっちりと伝わってきた。 段四郎、魁春、芝翫などほかの出演者もそろい、荒事とはまたちがう歌舞伎の醍醐味を堪能。
2006.09.12
空海千響(林英哲・山口小夜子ほか) 音色からリズムから演奏法から演出法から、太鼓もいろいろという多様なありかたを一度に見た。 山口小夜子はサロメで登場して天女で去る。 圧巻は、最後の、大太鼓の連打乱打。カラダの隅々まで響いた。
2006.09.03
【第一部】◇丸橋忠弥 ラストの立廻り、橋之助のカブキ顔。 ◇近江のお兼 小品でぱあっと明るい踊り。 ◇たのきゅう 楽しい新作。子供にもウケそう。 三津五郎のきっちりした踊りがあってこそ。 【第二部】◇吉原狐 おきち(福助)が役にはまっている。 大笑い。 ◇団子売/玉屋/駕屋 踊りの小品を三つ。 このなかでは、なんといっても、駕屋(三津五郎)。 端正できびきびして、見ていて実に気持ちがよい。 【第三部】◇南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)犬山道節(三津五郎)の、円塚山での幕外ひっこみ。花道にて、派手な衣裳で、なんとも複雑な動きをじっくりと魅せた。8月全体を通して、これが一番の歌舞伎っぽさ。あの味わいは、ナマの舞台でなくては分からないだろう。芸の力では、ほかの出演者から完全にぬきんでている。・・・というわけで、三津五郎の芸の力が印象的だった。あとちなみに、一日ですべてを通して見たわけではない。
2006.08.24
【第1部】◇ヴィエングセイ・ヴァルデス/ロメル・フロメタ「ディアナとアクティオン」Aプロではラストのドンキホーテで観客を沸かせた二人。今回は、ギリシア神話の世界から抜け出たかの如し。とくに後半、相変わらず大技らしきものを連発。回る、回る。幕開け、客席のボルテージを一気に高めた。 ◇エレーナ・テンチコワ/フィリップ・パランキエヴィッチ「リーズの結婚」小刻みな動きで可愛らしく。 ◇ジョエル・ブーローニュ/アレクサンドル・リアブコ「幻想-『白鳥の湖』のように」第1幕のパ・ド・ドゥ人物設定や舞台設定はちがっても、根底にある二人のやりとりは、たしかに元ネタのそれを感じさせた。◇イリーナ・ドヴォロヴェンコ/ホセ・カレーニョ「海賊」クラシックバレエの王道っぽくてよい。【第2部】◇マイヤ・マッカテリ/デヴィッド・マッカテリ「ロミオとジュリエット」より“バルコニーのパ・ド・ドゥ”フレッシュさがあったか。陶酔感があるとベター。 ◇ガリーナ・ステパネンコ/アンドレイ・メルクーリエフ「カルメン」以前見たロパートキナの印象があまりに強く…。◇アリーナ・コジョカル/ヨハン・コボー「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」Aプロでも好評の二人。力強い躍動感が加わって喝采。 ◇ポリーナ・セミオノワ/フリーデマン・フォーゲル「白鳥の湖」より“黒鳥のパ・ド・ドゥ”特に、腕の、肘から先の動きがやわらかにしなり、鳥らしさを感じさせる。オディールのソロはいつものと異なるバージョン。妖しくコケティッシュで、こちらの音楽のほうがどちらかというと好みだ。誘惑をふりまき、最後は「どうだ!」というキメ。あれなら王子が強烈に惹かれてしまうのも納得。【第3部】◇ルシンダ・ダン/マシュー・ローレンス「眠れる森の美女」これだけのプログラムの中で、この演目で印象を得るには、よほどでなくては難しいのかも。 ◇オレリー・デュポン/マニュエル・ルグリ「椿姫」より第2幕のパ・ド・ドゥゴージャス感がたっぷり。 ◇ディアナ・ヴィシニョーワ/ウラジーミル・マラーホフ「ジュエルズ」より“ダイヤモンド”Aプロのそれが気品で魅せるなら、こちらは技で見せた。◇ジル・ロマン/那須野圭右「孤独」シャンソンにのせて、他の演目とは異なった世界。生きる喜びないし叫びのようなものを描いているように思えた。(演目名は忘れて見ていた。)◇シルヴィ・ギエム/ニコラ・ル・リッシュ「椿姫」より第3幕のパ・ド・ドゥAプロでも別のダンサーが演じてなかなかよかったもの。今回のはさらに格別。次元が違う。やはりギエムのすごさか。隙がない。どこまでも滑らかな動き。どこで息をしているのか。あっというような難しそうな技も、きわめてスムーズに柔らかに決まる。その動きの余韻が、二人の熱情そして死に至るものを描きつくす。【第4部】◇アニエス・ルテステュ/ジョゼ・マルティネス「ドリーブ組曲」気品はさすがと思っていたら、後半になって技を繰り出してきた。 ◇タマラ・ロホ/イナキ・ウルレザーガ「三人姉妹」安定感のあるテクニックで、追いつ追われつというやりとりを描いた。◇アレッサンドラ・フェリ/ロバート・テューズリー「マノン」より“沼地のパ・ド・ドゥ”Aプロのほうが美しさを追求したものならば、こちらはリアリスティックさを追求した感じ。◇レティシア・オリヴェイラ/ズデネク・コンヴァリーナ「ドン・キホーテ」十分によいが、どうしてもAプロのほうを思い出してしまった。◇全員・フィナーレこれまた豪華に、出演者全員が揃った。
2006.08.09
(書いてあったのに、アップするタイミングを逃していた。今日ならぬ今年の舞台だが・・・)5月の連休にかかっていたボリショイの「バヤデール」。雨の中を、当日券を頼みに、横浜まで出かけたのだった。お目当ては、表題どおり、グラチョーワの演じるニキヤ。4日夜に出演したのが非常に評判がよかったようだったので、気になって、見てみようと思った。少し調べてみると、ボリショイでももうベテラン。長年主役をはっている。しかも、日本で演じる、少なくとも全幕ものは最後になりそう。ということもあって、一度見ておこうと思った。大正解とあいなった。出たところから、違う。形だけのうつくしさにとどまらず、気持ちを体が雄弁に語っている。悲しみの踊りでは、体の動きにかかわらず、常に、かなしさが全身から放射されている。これはすごい。その芸の秘密を、ある方が書いているのを見つけた。5月4日(木)のところ。グラチョーワの演技について、「その表現力は見事だ」としたうえで、こう続ける。 「名演技とは、簡単にいえば、 身体の中に遊んでいる部分がない、 ということである。 身体のありとあらゆる部分が総動員されている、 ということである。」うんうん、そうです。その通り。腕がどうとか脚がどうしたというののでなく、全身が表現している、としかいいようがないのだ。そして、三幕の「影の王国」。一回目は近すぎて、全体の形までは到底とらえられなかった。二回目は4階だか5階だったので、遠すぎた。三回目のこの日にして、ちょうどよい具合に群舞を堪能できた。体格/体型と技術のレベルが格段に高く揃った32名。一糸乱れぬとまではいかずとも十分にそろった動き。まさしく幽玄の世界。彼女が出演したこの演目のビデオがあることを知り、早速注文。以来、品物が確保できずとのことで、期間延長を2、3回重ねる。早くこないかナ。
2006.08.07
18時に開演、終ったのは23時近く。見るほうも体調を整えて臨むべし。【第1部】◇ルシンダ・ダン/マシュー・ローレンス「ラ・ファヴォリータ」黒と赤と金で心持ち抑え目に華やか、幕開けにほどよい。◇ニコラ・ル・リッシュ「7月3日 新しい日、新しい人生」これは正直よく分からなかったが、ダンサーのエネルギーは伝わってきたような。◇タマラ・ロホ/イナキ・ウルレザーガ「白雪姫」32回転どころではない。まだ回るの?というほど続けた。感覚的には、32回転の倍近く?三回転を何度も入れ、一度は四回転か?というものも。客席から、キャーともヒェーとも聞こえる声がちらほら。軸がぴたりと決まり、見ていても気持ちよい。◇ジョエル・ブーローニュ/アレクサンドル・リアブコ「椿姫」より第3幕のパ・ド・ドゥオペラの椿姫から想像した感じとは異なった。いわば、ロミオとジュリエットの成熟版。【第2部】◇ポリーナ・セミオノワ/フリーデマン・フォーゲル「ロミオとジュリエット」より“バルコニーのパ・ド・ドゥ”ちょっと大人のジュリエット。◇レティシア・オリヴェイラ/ズデネク・コンヴァリーナ「エスメラルダ」スペインの香り。◇アリーナ・コジョカル/フィリップ・バランキエヴィッチ「オネーギン」より第1幕のパ・ド・ドゥ鏡の演出が面白かった。◇アニエス・ルテステュ/ジョゼ・マルティネス「ジュエルズ」より“ダイヤモンド”気品というか風格が立派。◇イリーナ・ドヴォロヴェンコ/ホセ・カレーニョ「白鳥の湖」より“黒鳥のパ・ド・ドゥ”緩急がうまい。ツボを心得た演技。魅惑や誘惑というよりは、蠱惑なオディール。【第3部】◇オレリー・デュポン/マニュエル・ルグリ「扉は必ず・・・」ちょっとコミカルなところが面白い。◇マイヤ・マッカテリ/デヴィッド・マッカテリ「眠れる森の美女」フレッシュな感じのするペア。◇ルシンダ・ダン/マシュー・ローレンス「コンティニュウム」モダン?最初の演目と同一の演者とは思えず。◇ガリーナ・ステパネンコ/アンドレイ・メルクーリエフ「ライモンダ」もっともクラシックバレエっぽかった。技術だけではない。雰囲気としか言いようがないもの。◇アリーナ・コジョカル/ヨハン・コボー「春の声」体重をかんじさせない軽やかさ。いちばん、見ていて、心がうきうきしてくる演目。【第4部】◇アレッサンドラ・フェリ/ロバート・テューズリー「カルメン」カルメンなので赤かと思いきや、黒。◇シルヴィ・ギエム「TWO」やはりすごい。異質に際立っていた。拍手も、一番大きかった。カーテンコールのとき、深々とお辞儀をしたあとは、すぱっと後ろを向き、スタスタと去るのがカッコイイ。◇ジル・ロマン/那須野圭右/長瀬直義「ベジャールさんとの出会い」 これまた毛色の異なる演目。ダンサーがセリフを吐くのが珍しい。◇ディアナ・ヴィシニョーワ/ウラジーミル・マラーホフ「マノン」より“沼地のパ・ド・ドゥ”死の匂いが漂いつつ、だからこそ最後の生を燃焼しつくそうかという勢いが渦巻く。◇ヴィエングセイ・ヴァルデス/ロメル・フロメタ「ドン・キホーテ」大技続出。あっと思うような、難易度の高そうな技をふんだんに盛り込む。会場からも、何度もどよめきが。32回転は、トリプルを入れて。お祭りの最後として、ちょうどよかった。◇全員・フィナーレこの日の全出演者がカーテンコールに登場する。これだけの出演者が舞台に並ぶだけで、壮観につきる。歌舞伎の襲名披露などでずらりと並んだ役者が顔をあげたときの見ごたえに通じる。◇ ◇ ◇世界バレエフェスティバルは、今回が初めて。値段も値段だが、この内容を考えれば、高すぎるというわけでもあるまい。贅沢なものだ。
2006.08.04
「世界バレエフェスティバル」という、何やらすごそうなタイトルの公演。その幕開けの演目、『ドン・キホーテ』を観る。バレエのなかでも、スペインの香りやラテンの血を感じさせてほしい演目。主役にラテン系のダンサーを揃えたとのこと!かなりふくらんだ期待を胸中に、じり暑いなかを上野に向かう。キトリ/ドゥルシネア姫:タマラ・ロホバジル:ホセ・カレーニョタマラ・ロホのキトリは、キレのよさが光っていた。たとえば脚をあげるのが、スパッと決まる。この役を踊るくらいのダンサーなら皆スパッと決まって当然なのだろうが、彼女のは、そのイキ、意気が、息が、格別に粋な域だったのだ。片足つま先立ちで数秒間止まる場面が何度かあった。通常の倍以上もったのでは。まだ立っているのか?と驚嘆すら。回転技は、軸がしっかりしていて、どこまでも滑らか。いつまでも止まらずに回り続けられるのではないかと思えてしまうほど。終盤のいわゆる三十二回転も、安定感とスピードと端正さの三位一体を、高度なレベルで渦巻かせて、満場の大喝采を得た。歌舞伎の獅子もので毛を振る場合の話を思い出した。ただ速くまわせばよいというものでもなく、大きく、威厳をもって、ゆったり目に回すのが本当だというような話。バレエの回転技にも通じるものがあるような気がした。スポーツではなし、サーカスでもなし、芸なのだから。ホセ・カレーニョのバジルも、負けず劣らず高度そうな技がピタリと決まっていた。そんなわけで結構満足。欲張りを申せば(←この言い回し、誰かさんたちがニヤリ?)、ここぞというところで、ラテンの爆発、燃え立つ炸裂が、ほしかった…。プリセツカヤの映像で見られる、火の玉のような輝きだ。言い替えると、こちらのサイトでいう「ドゥエンデ」のことだと思う。これだけは、残念なことに自分には感じられなかった。上記サイトに言う、「極限まで張り詰めた弓なりのポーズのまま跳躍の頂点で全身を空間に預けきるとき」のそれが、特に。それでも、生でみた『ドン・キホーテ』のなかでは、いまのところ総合ベスト。
2006.07.29
新橋演舞場の7月公演。水上勉『紅花物語』の舞台化。小説を舞台化するには、当然のことながら大胆な編集も必要となろう。場面の切り取りや組み合わせには、なるほどと同時に、ニュアンスが変わってしまうなと思いつつ。わかりやすく、そして特に前半はコミカルさも強調する演出に見えた。原作はもっとしっとりの感じだが、それでは舞台で地味すぎてしまうのだろうか。あの生霊みたいな演出だけはどうかと思ったが、全体としては楽しめた。じんわりときた部分もあった。都をどりも、名前だけ登場。余談だが、ロビーでは、京紅の有名店が特別出店。
2006.07.24
歌舞伎座の七月は、泉鏡花の世界で固めた。昼の部は、「夜叉ヶ池」と「海神別荘」。 夜の部は、「山吹」と「天守物語」 。「夜叉ヶ池」と「山吹」は、すぐ隣に連なる異世界。「海神別荘」と「天守物語」は、完全なる異世界。<完全なる異世界>のほうは、玉三郎と海老蔵の存在感あってのもの。虚構の世界であるはずなのに、舞台の上ではもっともらしい実在感が立ち現れてくる。セリフなどのテクニックももちろん重要だが、そのようなものを超えたところにある、二人の稀有な存在感。人間でないものを演じても違和感を感じさせない何か。ヒトの小賢しい理屈など軽々と超えてしまう力。そんなものを味わえた。演目全体の構成として思ったこと。鏡花の世界、それはそれでよしにしたとして、いかにも歌舞伎っぽい踊りの小品なども入っていてもよかったかな。
2006.07.11
やっと書くことができる。あれからもう一ヵ月になるのか。さてと、記憶時計の針を戻して…◇とにかく、見て楽しい演目だった。ストーリーや人物の心情を掘り下げるというよりは、とにかく楽しく派手に華やかに。こういう演目だって、あってもいいじゃないか。数十名というか総勢で100名を超える、選び抜かれたダンサーが一堂に踊る。それだけですごいことだ。これは世界中でもボリショイにしかできない、というのも納得。見ているうちに、ある実感が湧いてきた。いま自分はとてつもなく贅沢なものを見ている、そんな確信だ。この演目はDVDが出ている。出演者も、主役の2名を含めてけっこうかぶっている。最近のものだからよく撮れているほうだが、それでも生の舞台には遠くおよばない。特に、大勢のダンサーが出ることで生まれるボリューム感というものは、この演目ならではのもので、4階席でも5階席の隅であろうとも、劇場で感じるほかはない。
2006.06.10
【君が代松竹梅】10分ほどの踊り。幕開けに華やかで悪くない。【双蝶々曲輪日記 角力場】先日相撲を見てきたばかりだったせいか、妙な親しみやすさを感じながら見ていた。 【藤戸】茨木や船弁慶を思い出した。幕外に鳴り物も出てきての最後の花道の引っ込みは圧巻。【荒川の佐吉】仁左衛門の佐吉は、数年前に見たときもなかなかよかったが、今回はさらに演技が深まっている。自然にみえて、めりはりもはっきり。見せるところは、クサくなりかねない一歩手前ぎりぎりまで、たっぷりと味あわせる。何箇所か、じわり→ほろり、ときかかった。まわりのあちこちからも、すする音が立ち昇ってきていた。最後、佐吉が爽やかな表情で花道を引っ込んでいき、幕。一階の観客からもたくさんの声がかかっていた。
「ファラオの娘」に、猿の役がある。一瞬出てくるだけだが、登場している間は場内の喝采をさらっていく。この役を東京公演での4日間すべて勤めたのが、なんと日本人ダンサー。とにかくうまい。動きも鋭い。振付師も絶賛しているという。「バヤデール」の初日では「黄金の仏像」を踊っていた。こちらも出番は短いがおいしい役。なかなかの出来。日本人ダンサーだったことを知ってか、主役につぐ大きな拍手だった。このように層が厚く実力が徹底していそうなボリショイで、長年にわたり普通に活躍している。そんな日本人ダンサーがいることを知り、なにか嬉しい気がした。その彼のインタビューを発見。
2006.06.01
予告編で流れていた「525,600 minutes」の歌が冒頭に流れる。いまさらだが、 60[min/h]*24[h/d]*365[d/year] = 525,600[min/year] ・・・閏年には困るだろうな。その歌はラストにも流れた。これが全篇を通じていちばんか。舞台のほうでより魅力を発揮しそうだというのが感想。
2006.05.30
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Aプログラム 女将集結編:余太君を務めた役者の声・歌がよかった。貫禄もあり、舞台を締めた。だからこそ主役も生きる。それにしても豪華絢爛。歌舞伎の「助六」で勢ぞろいする花魁衆が、その姿のままで激しい立ち回りまで見せるようなもの。冗談抜きで、目が痛くなるかというほどの極彩色。上掲の写真二枚を千倍ぐらいに膨らませて想像すべし。Bプログラム 女将合戦編:立ち回りに期待したが、以前に見た他の演目のときのような、これでもか!という激しさと量はなかった。かわりに、洗練されていた。それでも見ごたえはあり。◆A・Bを通して、歌舞伎の「対面」を思い出す。歌舞伎における主な役柄が勢ぞろいする演目でもある。こちらの説明によると、男役、女役、道化…といった具合に、京劇の主な役柄が勢ぞろいとか。なるほど。動いていて、鳴り物に合わせてポーズを決めるのは、歌舞伎の見得に似ている。ただ、タイミングのとりかたはどこか違う。ところで、和洋中で似たものを並べるなら、やはり、歌舞伎・オペラ・京劇か?
2006.05.29
映像がキレイだというのが、見始めての第一印象。綺麗というやつではない。哀しくも鮮やかで、愁いを帯びて美しいのだ。映像は美しいも、前半はややおとなしめかと思いかけたころから中盤に入り、引き寄せる力がぐぐっと高まった。あとは一気呵成にラストまでもっていかれた。最後は痛快とまではいかないが救いがあった。2時間超の作品でも長さを感じなかったのは、そこそこの水準だったということの筈だ。せつない。じわりと心に残りそうな映画だった。でも、相変わらず、邦題は・・・。
2006.05.28
都心のある劇場で、ある公演を観た。開演してまもなく、視界の隅に不穏な影。舞台上ではない。客席への出入り口のほうだ。影は大きくなり、カツカツと高らかに靴音を響かせる。そのような人に限って大きな荷物を抱えており、それがまたガサガサと、舞台の音を掻き消してくれる。誘導する係員は腰をかがめているが、多くの観客の視界をつぶしている客のほうは、自分のことで精一杯なのか。これが一人や二人ではない。10名はいただろう。舞台上では緊張感が高まろうというところに、その空気をぶち壊して平気で入場。一度にくるならまだしも、見事に間隔をおいてきて、舞台の前半を入念にぶち壊してくださった。観客としての自分にはそう見えた。入場だけではない。途中で出て行く人も数名あり。同じく、視界を遮り、靴音や荷物の音を振り撒いて。携帯の呼び出し音が鳴ったこともあった。まあ、こういう人はどこにでもいる。問題は、劇場が、そのような遅刻者の入場を許すことだ。お笑い芝居などだったらそれもよかろう。比較的大衆的といわれる歌舞伎でも、花道での演技があるときには、その近辺の客席への入場は待ってもらっている。クラシック系ではもっとしっかりしている。開演したら、その幕は入場不可とか、あるいはタイミングを計らって、他の観客の観劇の邪魔にならないようなタイミングで入れるとか。伝統芸能でも、そのようなホールもあった。そのような場合、ロビーにモニターが設置してあり、遅刻客はそちらを観ることが出来る。今回、肝心の舞台は悪くなさそうだったが、上記のような劇場の素晴らしい配慮のおかげサマサマで、全く入り込むことが出来ず、ちょっときれいかな、ぐらいで終わってしまった。残念な観劇となってしまった。ハズレ、である。観るならやはり能楽堂のにしておくべきだった。そもそもこのような演目というかジャンルを、この劇場で上演することに無理があったのかもしれない。ボリショイが連続大当たりだったし、こういうこともあるか。(それにしても、この劇場には以後気をつけよう。)
2006.05.17
今回のボリショイ来日公演は、なんと結局6回も見たことになる。「バヤデール」と「ファラオの娘」を、各3回。どちらも最初は各1回、初日のザハロワ目当てだった。彼女のよさはもちろんであったが、他の主役ダンサーと群舞とのすばらしさに魅せられて、追加で見に行ったのだった。ボリショイの場合はダンサーの層が厚く、キャストにかかわらず満足度が高い。時間的も財布的にもなかなか厳しかったのだが、そこをなんとか捻り出して見に行った甲斐は十分にあった。まだまだ書くべき感想があるのだが、今はここまで。
2006.05.16
一日で新橋演舞場と歌舞伎座のかけもちは、少々きつい。偶然どちらでも大薩摩が出ていた。歌舞伎座の「外郎売」と演舞場の「山門」。どちらも聴き応えあり。観劇記のほうはのちほど。
2006.05.14
先週のことを思い出しながら。バヤデールの群舞、特に三幕のは圧巻だった。一糸乱れぬ揃いぶりということでは、日本のバレエ団がわずかに勝るかもしれない。ボリショイのは、ぴったりとは言わないが十分に揃っているし、体格や技術レベルでははるかに凄い。(ちなみに別の某大国のバレエ団では、まあ群舞だけに限ったことではないが、個人主義のネガティブな面が丸出しで問題外だった。)これが32名も並ぶと、それだけで壮観。別世界が出現する。影の王国の「影」とは、精霊という意味もあるという。そんな幽玄の世界を目の前に再現してくれた。
2006.05.12
初日の翌日にも、当日券で見に行ってしまった。上の階の席だったので、群舞の全体を見ることができた。配役は異なるが、十二分に満足な水準。強いて言えば初日のほうがよかったようにも思えるが、これは初日で、かつボリショイバレエ団およびこの演目「バヤデール」を見るのが初めてだったこと、一階席だったこともあるのかもしれない。改めて、主役だけでなくすべての出演者のレベルの高さによる、舞台の密度の濃さを体感した。影の王国の群舞の美しさはもう完璧。あと一度ぐらい見たかった。
2006.05.06
初日。主役だけでなく群舞も含めた出演者全体の層の厚さが印象的。よって、主役以外が踊るときにも退屈な場面というのがまずない。主役3名がひときわ素晴らしいのは言うまでもなく。 ニキヤ:スヴェトラーナ・ザハーロワ ソロル:ニコライ・ツィスカリーゼ ガムザッティ:マリーヤ・アレクサンドロワソロル(男)をめぐって女性二人が争う。二人の芸の火花が散るかのような踊りもあり(一幕)。ニキヤはガムザッティの計略により毒蛇に倒れる(二幕)。失意のソロルは夢の中でニキヤに再会する(三幕・影の王国)。ザハロワはいうまでもなく。さらに進化している。腕の動きを見てそんな気がした。まだまだよくなっていきそう。ツィスカリーゼもよかった。ガムザッティも、テクニックの安定感。回るところでは、舞台に脚が根付いているかというほど、微動だにしなかった。美しいものがただそこにあり、動いているだけで湧き上がるこの感覚は何だろう。安易に言葉には表しがたい。黄金の仏像は日本人ダンサー。やはり応援したくなってしまう。彼の踊りが無事おわると、ひときわ大きな拍手が起こった。ザハロワとツィスカリーゼは何度もカーテンコールに出て、劇場側がライトを消しかけた?あとにも、最後のもう1回。手のひら痛く、腕は疲れてくるぐらいに拍手した。ただ至福のひと時。時間があっという間に過ぎる。もう終わり?もう3時間たったの?もっと見ていたいと思った。さすがはボリショイの底力。
2006.05.05
さすが、のボリショイ。至福の一時。手のひらが痛くなり腕が疲れるほど、自然と拍手が出た。すごい、すごすぎ。
2006.05.04
都をどりの最終日の最終回を観た。これで最後という開放感がすぐそこまで来ているのか、リラックスムード。それでも、一ヶ月間の積み重ねで、振りもぴたりと揃っている。30日のうち、二十数日舞台に立っている出演者もいるとか。一日4回なので、しめて100回超!いやはや、おつかれさま。
2006.04.30
井伊大老: 魁春の台詞回しが歌右衛門に似ていて、 次に、声も似てきているような気がしてきた。 そうして、顔の面影までが似ているように見えてきた。 顔かたちが似ているというよりは、 雰囲気が似ている、ということ。 吉右衛門もよかった。心情が切々と伝わる。追善口上: 豪華な顔ぶれ。 思い出話を語るなかから、 芸が厳しい中にもお茶目なところもあった、 歌右衛門の人間像がイメージされる。時雨西行: 藤十郎による、遊女と菩薩の踊り分け。伊勢音頭: 仁左衛門の貢がよい。