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町内会のバス旅行で水戸・偕楽園の梅まつり、益子のいちご狩をしてきました。梅は8分咲きであたり一面梅梅で白や赤の花びらがきれいでした。1時間しか時間がなかったので急ぎ足で広い公園を1周した。
益子のいちごは甘くてミルクなしで食べられ、20個も食べた。”つかもと”{窯元の店}で益子焼の買い物、益子の酒蔵”外池酒造”で酒ずくりの見学、試飲等をして、益子の風景を肌で感じてきました。自然の風景が私の山形の田舎と似たような感じがしました。子供の頃このような自然の中で生活していたのかと思いながらバスの旅を楽しんできた。 偕楽園の概要: 梅の公園として全国にその名が知られる偕楽園は、日本三名園のひとつに数えられ、天保13年(1842年)、今から159年前、藩主のみならず、家臣や領民がともに遊息するために徳川斉昭公(水戸徳川家第9代藩主)が造園したものです。 面積約12.7へクタ-ルの園内には、約3000本、100品種に及ぶ梅林があり、深梅(早咲き)賞梅(中頃)送梅(遅咲き)とその開花期が正月前から彼岸過ぎまで長い期間にわたって楽しめるのが特徴です。 そして、この周辺の湖水、川渓、田園など自然の地形を巧みに生かした回遊式庭園は、好文亭、奥御殿、表門、吐玉泉、偕楽園記念碑、仙湖の暮雪碑等の歴史的建造物が建立され、また梅林のみならず、竹林、自然林をめぐり、初夏にはツツジ、秋にはハギの花が咲き誇り、シーズンを通して楽しめるとのこと。 益子焼: 益子焼は江戸時代末期、笠間で修行した大塚啓三郎が窯を築いたことに始まると言われます。以来、優れた陶土を産出すること、大市場東京に近いことから、鉢、水がめ、土瓶など日用の道具の産地として発展をとげます。 1924年、濱田庄司がこの地に移住し、「用の美」に着目した柳宗悦らと共に民芸運動を推めるかたわら、地元の工人たちに大きな影響を与え、益子焼は「芸術品」としての側面も、もつようになります。 現在、窯元は約380、陶器店は50。若手からベテランまでここに窯を構える陶芸家も多く、その作風は多種多様です。春と秋には陶器市が開かれるとのこと。 出典・参照: *いばらき未来科学館 *益子町観光協会 益子のいちご狩: お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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