父への手紙
この歳になって、初めて、父の日のプレゼントと一緒に、手紙をつけた。最初、カードに、お父さん、ありがとう、と、2言、3言、書くつもりだった。それが、自然に長くなった。ので、書き直した。父について・・・父は、水産高校、工業高校の機械科で、教員を勤め上げた。高校生のロボットコンテストを、中心になって立ち上げた。産業高校の教育は難しい、学ぶ意欲を育てることが難しい。それで、そのことを通して、高校生の学ぶ心を育てることに、尽力した。何度も新聞に、インタビューが載った。定着させるのに、頑張っていた頃だ。今では、わたしは、誰に聞いても、高校生のロボットコンテストを知らない人はいない。素直に、本当にすごいことをした人だと思う。おかげで、退職しても数年間、元の職場の高校で、講師として教えるように依頼を受け、教壇に立つことができた。とても、一生懸命仕事をした人。水産高校で勤めていた頃は、退学者がとても多く、学校に来ない生徒が多く、苦労していた。毎日、学級新聞を書いて、学校に来たことを褒め、学校に来よう、と呼びかけていた。しょっちゅう、生徒の家に、電話して、生徒や親に、学校に来るように、と説得していた。高圧的ではない。友達に話しかけるように、同じ目線で話していた。忘れない。それから、担任を持つ年には、毎日、学級新聞を発行するようになった。わたしは、そんな先生には出会ったことが無い。だから、すごいことだと思う。今も、20年前の教え子の、定期の飲み会(もあい、と沖縄では言う。普通にある習慣)に、呼ばれる。そして、新年には、教え子、もう40歳も過ぎる教え子が、我が家に集まる。生徒の仲人も、2回頼まれ、母とともに、やった。すごい人だと思う。今は、退職教職員共済会のグランドゴルフのサークルを楽しむ日々。でも、それも、極めてしまっている(・ ・;)何百人の中から、全国大会の代表に選ばれてしまうような。同じ共済会のサービスで、確定申告の相談、お手伝いをする仕事があるらしい。最初は、それをしていた・・・今は、その仕事をする人たちへの講師も、仕事に加わっている。それから、故郷の山、を、守る会にも、役員として参加している。本当に、忙しい毎日…会議だ、会議だ、と・・・退職者とは思えない;でも、故郷の幼馴なじみとの、もあい、も続けている。それが楽しみの様子。酒もタバコもしない。もちろん、多分、浮気も。飲みに出かけることも、ほとんど無かった。最近は、楽しい付き合いが増えて、時々、飲みには行くが、たしなむ程度。楽しそうだ。そんな人。でも、父親らしい父親ではなかった。家庭は顧みない人、子どものしつけや教育をしない人だった。今も変わらない。わたしたち兄弟とは、会話すら、ほとんどない。だから、我が家は崩壊している。そんな父。感謝はしている。が、崩壊した家庭を作った責任をなじる気持ちもあった。でも、今回、書きながら、いかに、父親にいろんなことを教わってきたか、に気がついていった。実感した。それで、いつの間にか、長文になっていた。父とは、子どもの頃から、ほとんど話をしたことが無い。今も、ほとんど話はしない。父は、父親らしく、接してくれたことも無い。だから、うちは、崩壊している。けれど、たくさんのことを教わり、惜しみなく育ててくれたことに、今さら、気がついた。そのことに、本当に感謝することができた。父母を敬え、が、自然にできた。そのことにも感謝している。たくさんの人の支えで、父への気持ちが、変わり、感謝を伝えられた。生まれて、初めて、父に書いた手紙。せっかくだから、記録しておきます。【お父さんへ】わたしを、この世に生んでくれてありがとう。育ててきてくれてありがとう。お父さんが、一生懸命働いてくれたおかげで、わたしは、本当に恵まれた環境で育ちました。小さい頃のおけいこごと、いい高校や大学、専門学校を出してくれたこと、たくさんのことを学べて、本当に恵まれています。ありがとう。そして、病気になったわたしを、支えてくれてありがとう。感謝しています。凄くお金がかかったと思います。今もです。何もいわずに支えてくれて、ありがとう。本当に感謝しています。今も、通勤・病院の送り迎え、心から感謝しています。わたしの病気は、治らない病気だそうです。でも、少しでも良くなって、しっかり働けるように、がんばります。今飲んでいる、強い眠剤を飲まなくてもすむようになったら、ちゃんとバイクで通います。しばらくお世話になりますが、よろしくお願いします。お父さんとは、子どもの頃から、今も、あまり話さないけれど、たくさんのことを教えてもらえました。一番は、平和の大切さとそれを守る努力、闘いの大切さを教えてくれたことです。ほんとうに小さい頃から、戦跡巡りをして、教えてもらいました。そして、社会のあるべき姿も、教えてもらいました。そのおかげで、今、わたしは、人に伝えることもできるようになりました。こないだ、沖縄戦について、ひめゆりの話と南部の激戦についてブログで書いたら、本土の人からも、いろいろな感想をいただけました。今は病気で、できることは限られているけれど、お父さんが教えてくれたことを、実行できる人間になりたいです。それから、お父さんの仕事への姿勢は、良心を持って、思いやりを持って、できることは何でもする、ということを教えてくれました。毎日、仕事を持ち帰って、学級新聞を書いていましたね。学級新聞を、毎日書くのは、大変な事です・・・学校に来ない子供達に、電話をしたりもしていましたね…そういうことから、教わりました。今、わたしは、そんな心で、仕事をしています。家でのわたしからは想像つかないかもしれませんが、スタッフやご家族、患者さんに頼りにされ、それに応えられるよう仕事をしています。多くの先輩方の指導のおかげですが、それも、お父さんの姿勢を見て、その心構えをもてたからです。感謝しています。これからも、少しずつ、患者さんのために、良い治療ができるように、がんばります。それから、我が家には、人の悪口を言ったり、妬んだり、という会話が皆無でした。そのおかげで、わたしは、陰で悪口を言ったり、人を妬んで苦しむことの無い人間になれました。これは、心がけだけでは、難しいことです。人に対する思いやりや、食事に感謝することも、当たり前のようにありました。でも、いろいろな人と接してきて、当たり前のことではないことがわかりました。こういうことも、みんな、オトナになってからやろうとしても、大変なことです。こんなふうに育ててくれたこと、人を妬まない人間に育ててくれたこと、思いやりがどんなに大切か教えてくれたこと、オトナになって学ぼうとしても大変な事をおしえてくれたこと、本当に感謝しています。そのおかげで、わたしの周りは、良い人たちばかりです。さっきのブログの話には、憲法9条を絶対に守らなくてはいけない、とも書きました。今の社会情勢では、それを書くことは、勇気がいりました、でも、そういう勇気も、お父さんから学べました。こんな歳で、孫の顔もみせられず、ごめんなさい。わたしなりに、一生懸命生きていきます。健康で、わたしが親孝行できるように、長生きしてくださいね。2009.6.21. armadillo_ne闘病の励みにしています☆応援ポチよろしくお願いします