あいすまん

2009/01/04(日)02:34

部誌を歩く―沖縄高校文芸部の現在3

詩・文芸(246)

県立首里高校文芸部「胡蝶の夢」02(2008.1月) 詩や小説、企画ものを含め四十八作品。 B5の百六十六ページ。巻末に記載されている部員は九人。 企画もの「ちょっとひといき お題DE川柳 YOU詠んじゃいなよ」のつくりがいい。 題目ごとに執筆者四人が一句ずつ詠む企画だが、扉で四人の似顔絵とともに語彙力や洞察力などを百点満点で採点したデータを紹介。それぞれのキャラクターを示したうえで作品に入る。実際、作品にキャラが表れていて納得する。 「携帯電話」のお題では「どうしよう携帯忘れたどうしよう」(森梅)がいい。何のひねりもないように見えるが、携帯電話を忘れたというだけで頭が真っ白になってしまう様子が端的に描かれている。実際には生活に何ら支障がなくとも、自分のアイデンティティーの一部が欠落したかのごとく不安に陥る。携帯依存症の心境を表すことに成功している。一人ひとりの作品の質もさることながら、文芸雑誌の体裁をとっている以上は読者を楽しませる企画は必須で、こういった読ませ方を意識したつくりはいい。 部誌全体のつくりも、「胡蝶の夢」という題に即して「夢」と「現(うつつ)」の二部構成になっており、部誌の題という原点に立脚しつつ読ませ方を意識している。 魅力的な小説がいくつかあった。「空っぽの胃袋にジンジャーエールを流し込め」(弥生テルヤ)は登場人物のキャラクターがよく立っている。場面の転換点で挿入される〈そのころ僕は十九歳で、金なんて向こう一週間快適な場所で寝られて夕食後にナタデココを付けられるぐらいにあればいいかな、なんて考えていた〉などの一節が効果的。主人公の回想において昔と現在の主人公が癒着せず、時間に隔離された客観性が確立されている。それは〈ずっと繰り返されてきた地上生命体総入れ替えの計画の一端を目の当たりにした彼女の小さな体を抱き締める以外なかった〉などの独自性の引き立つ表現とも相まって、読み手を引き込む力量でもある。 「KAGE」(黒羽)は耳元でささやく〈『声』〉の存在感が物語の進行とともに増し、クライマックスの盛り上がりを経て、声の存在は謎として残される。終結部の展開の必然性に疑問は残るものの、実態のない存在に対する恐怖が増幅していくさまに引きつけられる。 「七、八、九」(如月睦)は星進一のショートショートを思わせる。オチもしっかりしているが、それまでの読ませ方も(多少ベタではあるが)エンターテイメント性を確立している。これも惹かれた作品。 詩では、心がくじけた時に立ち直るために必要な強引さが描かれ、そのために痛々しさも表れている「人とは脆い生き物だからこそ、/進み続けなきゃいけないのかもしれない。」(真実)を引用する。 人とは脆い生き物だからこそ、     進み続けなきゃいけないのかもしれない。                       真実 嗚呼。 もう会えないのだ、と頭の中でその言葉だけが繰り返される。 頭では分かっているつもりだが身体はわかってくれないらしい。 意思とは反して零れる涙にドキリとする。 ここまで弱い生き物だったのか、と。 あの声はもう聞けない。 あの笑顔はもう見られない。 でも、私はここで立ち止まっていられない。 私にはまだ、やらなきゃいけない事がある。 さあ、立て。 立って進め。 振り返るな、前を見ろ。

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