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新たな境地を開くには、自分の立ち位置に自覚的でなくて何ができるだろうか。 ある詩人は「詩人は土地の精霊」と言ったが、詩の新しいことばが他者を引き付けるとき、その詩語は己を育んだ土地に宿る怨念も血肉と化したところから発せられているのではないだろうか。 ここは沖縄だ。 いくら新たな世代が台頭しようとも、構造が改められていない以上、新たな詩語も土地の怨念から完全に自由にはなりえない。それを感じ取らないと健全な評価とはいえないと思う。 あらゆるものと関係ない与太話。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010/08/25 12:25:57 AM
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