| 藻緯羅’s Worlds ( 食と健康 &富士山 )

2017/12/16(土)14:44

藻緯羅の進路志望(2) さて、その顛末は...

....昔話(17)

パイロットに転じたワケは、 YS-11が刺激剤だったか? で、 パイロットを諦めたのは、 近視になってしまったから。 旋盤工に眼が行ったのは、 工作雑誌で見たから... 工員を止めたのは、ご他聞に漏れず、 大学に行け! それでも、高専を受験したが、 実力が伴わず、落っこちた。 止むなく、普通高校へ。 入学時は、上位1割内だったが... やる気がないわけだから、 2学期が終わる頃には、ブービー賞もの。 進学校なので、エレベーター的に堕ちる。 なんとなく、 資本論や共産党宣言を読み始める... で、「経済学者」志望という次第。 選んだ大学は、小樽商科大学。 貧乏なので、行けるのは国公立のみ。 もっとも、奨学金が貰えるほどの貧乏ではない。 というより、成績が悪すぎた。 ここで、親の反対に遭遇する。 国公立限定は、当然だが、 自宅か、実家からの通学が条件に加わった。 北海道まで、1000キロ以上ある。 一橋は、合格率0%で無理! 転進! 東工大を目指すことにした。 理由は、過去問題をやったら簡単だったから。 直前になって、進路指導の反対に遭遇。 東工大はダメだという。 理由は東大入試が中止になったので、 理系志望者が、東工大と京大に流れるから。 キミの実力では、合格率0%。ごもっとも。 仕方がないので、 第一志望、名工大を表明! が、これも却下、合格率10%台だから... 名大・工学部の受験を条件に、口説き落とした。 本人、名大に入る気はさらさらない。 因みに、名大の合格率も10%台だった。 何故、「名大を受けるなら」かというと... 在学校が、名大の合格数を誇っていたから(?)。 というわけで、 一期校が第2志望という珍しいことになった。 10%台だが、京大組が流れるので、 実質的な合格率は、どちらも数%だったろう。 首尾は? 名大・工学部は合格。でも発表は見に行かない。 あくまで、カレッジ狙いである。 名工大は不合格、当然、浪人などは許されない。 あわてて、名大・工学部の入学手続きへ。 名大・工学部は志望の電子ではなく、応物。 要するに、第2志望での合格だった。 やりたかったのは、電子計算機だったので、 これまた、やる気が湧いてこない。 というより、大学は大学紛争の真っ最中。 地方は東京から、時期遅れになるのだ... 外国語の単位は、1年で1単位しかとれなかった。 これも、 フランス語志望なのにドイツ語になったから(?)。 1年で一定数の単位を取らないと、2年の講義が... 2年で、一定の単位を揃えないと、3年になれない。 ピンチである。 2年次は、毎日、5単元、8時から17時まで。 もちろん、土曜もフルに受講した。 単位を落としてもいいように、余裕を持たせた次第。 先生の都合で落ちる事もあるのが、大学である。 で、保険をかけたわけである。 結果、無事、3年へ。 朝から夕方まで、語学ばかり、外国語学部に入った感じ。 そうなると、自然に取れてしまうものである。 それなりに勉強して、イザ!就職へ... 狙いは、今のアドバンテスト、ローム、小野測器。 当時の社名は、タケダ理研、東洋電具、小野測器。 ここで、ドルショックに遭遇。就職を断念。 ゼミが、「コンピューターソフト」だったので、 新設の情報工学専攻を狙って、 無謀にも大学院志望に転向。 講師達の100%落ちるだろうという進言付。 なので、落ちるから、研究生になる予定だった。 ここで、新設されないというトラブルに遭遇。 予算が付かなかったのである。 正確には、予算案が年度内に通らなかった。 暫定予算に含まれなかったので、新設頓挫。 ところが、 新年度に入って、唐突に予算確定! 遅ればせながら、急ぎ、募集・入試実施へ。 皆、進路が決まった後なので、 藻緯羅のような「優秀なニート」は限られる。 受験してみると、合格してしまった。 競争倍率は、1倍強だったらしい。 2年修了後は、博士課程ではなく就職を志望。 ここで、親から注文が、自宅通勤するべし! で、トヨタ車体を志望して、学内専攻へ。 定員1名に、志望者は複数。 いろいろあって、藻緯羅は諦めることに。 結局、東京のメーカーに内定!  が...、今度は、親戚から反対意見が... 上京、まかりならぬ。 条件闘争で、「毎週帰郷」で折り合った。 ここで、オイルショック勃発。内定取消の嵐。 当該企業の判断が、なかなか届かない... 結局、 内定取消はなく、翌年採用が実質ゼロに。 危なかった。 見込み通り、研究所に配属されるも、 実力伴わず、数年で、電算機運用部門へ、 その後、人材不足で研究部門に逆戻り。 そして、新設子会社へ出向。 バブル崩壊で、本社へ逆戻り。 体力と知力の限界を感じ、サラリーマン引退! 結局、成り行きまかせの旅でしたね。 今も、似たような構えで生きてます。

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る