人生の不思議
良ぉ~く思い返してみると、自分自身の人生の中にはずいぶんと守られていたことがあったことに気が付きます。それは、自分自身でどうしても必要なものを自分自身の人生の中に出現させてきたといえるのかも知れませんし、何者かが出現させてくれてきたのかも知れません。それは、まるで『星の王子様』の中に出てきた砂漠の中に井戸のお話みたいです。で、わたしがついさっき気がいたことは、「鬼子母神」のご加護です。わたしはこの神様に呼ばれてこのあたりに長い間住んでいるのだなぁ、ということになんと、はじめて気がつきました。わたしのふたりの子どもたちも「鬼子母神」の境内で遊び、境内の中の駄菓子屋さんのおばちゃんと仲良くなって育ちました。わたしは、今でもときどき、お散歩がてらに「鬼子母神」には行きます。下の娘の卒業とともに鬼子母神のすぐそばの小学校が廃校になったのも決して偶然ではないことに気がつきました。その子の入学とともにある美術の先生が転勤でやってきてその子の卒業とともに、また、その先生は転勤でどこか他の小学校に行きました。その美術の先生には「いやぁ~、僕も長い間、美術の教師をやっているけれど父母に絵描きが居たのは初めてだなぁ~」と言われました。わたしも、「いやぁ~、長い間父母をしてきたけど、美術の先生が絵描きなのは初めてだなぁ~」と思いました。その人は、現在の日本の現代美術界において第一人者的な存在の絵描きでした。そういえば、最初の大学に、しぶしぶ入ったときもわたしが当時本当に必要としていた美術の教授が、フランスから帰ってきて、教わることができました。フランス帰りの絵描きが、とってもめずらしかった時代でした。だって、まだ、一ドル360円の時でしたから。懐かしいですねぇ~。後のほうの、美大に行った時も実は予想に反してがっかりしていたら絹谷先生が来ました。絹谷先生が来たときは、ぱっ!っと目の覚める思いがしました。それはわたしひとりではなく、当時の学生みんながそうだったので、やんや、やんやの拍手喝さいでたくさんの学生達が、絹谷先生のことを迎えました。ありがたいなぁ、と思います。とっても、感謝します。こんなにも守られているんだね、わたし達は。ずっと前に、上野の動物園に行った時、パンダの住環境に憧れて、いいなぁ~、パンダは。と、思ったことがあったのだけど、いやいや、地球上の人間の環境も冷暖房完備に近い状態で、こんなにも守られていたのか、と最近は思います。すごいことだね、やっぱり、わたし達は、生かされているのですね。