身体・感覚とアート

2004/12/01(水)23:15

情報化社会を泳ぐ

身体・感覚(46)

今日午前は急ぎの所用をすませ、午後はひたすら図書館にカンズメ。本を読みあさる。 あちこち違う分野の本や雑誌を読んでいると、共通のテーマが違った視点で語られていることに気づくことがある。 例えば、デザインの分野で「声に出して読みたい日本語」の著者の斉藤孝が取り上げられていたりする。そこでは、 『デザインを学ぶということは、記号や図を上手に「デザイン」する行為をいうのではない。人間が与えられた環境のなかで身体性を介在させてパターンを生み出していく活動こそがデザインであり』 とかかれていて、「まねる力」「要約する力」「質問する力」を提唱している斉藤孝の教育論はデザインだ、という見方ができると書かれていた。 斉藤孝は日本古来の「型」の見直しや、自分で型をつくろう!といっているひと。 「型をつくっていく=パターンを生み出していく=デザイン」と考えると、 なるほど~、斉藤孝がデザインにもたずさわっている、という見方ができるのか、と思う。デザインの見方が広がり、斉藤孝の見方が変わる。 情報化社会では、あえてざ~っと情報を眺めたり、取り出したりすることができる技術があったほうがいい気がする。 もちろん、「みざる、いわざる、きかざる」でも楽しく暮らしていけるけれど、情報化社会は消えるわけでもなく、ある日突然「おれおれ詐欺」のように目の前に現れる。 人間は、ぶつかる!と思って透明なガラスに「どん!」とぶつかってもほとんどけがはしないらしいが、まったく気がつかないで「どん!」とぶつかると悲惨な目にあうらしい。 情報化社会という透明なガラスを意識していれば、あまり致命的に悲惨な目には遭いにくそうだ。

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